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 日常の生活の中で、ふと思う事や、考える事、又は自分の過去の記憶を思い出して書いてるエッセイである
by akiko_550722
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思い出の看護婦!

 私には忘れられない看護婦さんがいます。
 それは私が20歳の時に入院した病院に勤務していた、私より9歳年上の看護婦さんです。当時の入院した理由は、いつもの「低色素性貧血」と云う病名の貧血で、病院に来た時は、血液が正常の三分の一しか無いと云われて、即、輸血処置が取られたくらいだったのです。その時の担当の看護婦だったのが彼女だったのです。

 明らかに自分より大人の女性でしたし、特別美人では無かった(失礼)が、患者に対する接し方が物凄く柔らかで、貧血の為に眩暈のする頭の中で、こんな人が白衣の天使と云うんだなと、思っていたものでした。
 ところが私は、一月に母が亡くなったばかりで、精神的にもかなり落ち込んでいたのです。それまでは、騒がしいほど明るかった性格が、まるで別人の様に変わってしまっていたのです。そんな私に、明るく接してくれる彼女に、私は母の面影を求めたのかもしれません。

 そんな訳で、私は当時は多少うつ病の症状が出ていたらしく、担当だったその看護婦さんは、常に私を気に掛けてくれていたのです。いくら忙しくても、必ず、朝と帰りに私のベットによって、言葉を掛けに来てくれたのです。僅か20歳の男の子がこんな状況で、彼女に恋心を持たないはずが有りません。でも、その頃の私は、恋とか、愛に対して、非常に臆病な人間だったのです。

 つまり、普段は自分の障害を一切、気にしないで、明るく振舞う事が出来るのに、女性とのお付き合いに関しては、まるでダメだったのです。それは、女性の前に出ると自分の障害が最大の”障害”になるのです。そんな状態の私でしたが、この看護婦さんに対しては、いつもの弱虫が鳴りを潜めてしまっていたのです。そしていつの間にか、毎日、彼女が現れるのを待つようになっていたのです。でも彼女には、その思いを、おくびにも出さない様に接していたのです。

 しかし、そんな状態が続いたある日、彼女が私をデート(?)に誘ってくれたのです。彼女は「先生に話して、許しを貰ったので、今度の水曜日に、一緒に支笏湖にドライブしようよ」と云ってくれたのです。私は天にも昇る思いで、その日が来るのを楽しみに待ったのです。

 当日の午前中に、病院の玄関に彼女が車で迎えに来てくれたのです。私は彼女と同じ車に乗っている事さえ信じられない気持ちで一杯でした。そして、そんな思いを乗せたまま、まだ雪残る湖畔までの間はとても楽しいドライブだったのです。私は自分の事を色々と話して聞かせました。今までがどんな人生で有ったかを話したのです。

 そして無事に駐車場に着いた彼女は、車を止めて私に話し始めたのです。「○○君(私の事)、実は私にも○○君と同じ様な障害を持った弟がいたの。弟は12才で亡くなったんだけど・・・。だから余計に○○君に接する時間が多かったんだと思うの。そんな中で、○○君が私の事を、どう思っているかは、何となくわかってきたの。○○君に辛い思いをさせて悪い事したなって思っているわ」

 「私は○○君が、お母さんを亡くした事で、かなり落ち込んでいる状態だったのを見て、今に自殺でも図るのではないかと、心配で堪らなかったの。今となっては余計な事だったかも知れないけど、本当に心配だったの。先生も心配しているのよ、だから今日の外出の計画も先生が考えて、お前がゆっくり話してやってくれって云ってくれたの。みんな貴方の事を心配しているのよ。きっと○○君なら、立ち直れるし、きっと素敵な彼女見つかるよ。だって優しいもの。もっと自分に自信を持って生きて欲しいの。頑張れるよね。」

 私は恥ずかしさも忘れて、流れる涙を拭かずに彼女を見ていました。やがて彼女は「もう一つ、話しが有るの。実は私、後1ヶ月位で今の病院をやめて、東京のホスピスに行くの。弟の事もあって、昔からホスピスで働く事を考えていたんだ。まだ婦長さんにしか話していないけど、○○君には話しておきたかったから・・・。」

 帰り道のドライブインで、初めで最後の二人だけの食事をして、彼女と約束をしたのです。
 彼女が辞めていくその日までに、昔の明るさを取り戻す事を・・・。

 あれから、35年以上も経過しましたが、彼女の消息は不明ですが、きっと今もどこかのホスピスで、末期医療に身を投じている事と思います。そんな彼女に伝えたい事があります
 貴女のお陰で、私は生まれ変わって今まで生きて来れた事を・・・。

 これが私の、甘く切ない初恋物語でした。
# by akiko_550722 | 2005-02-24 20:14

アメリカは何処に有るの?

 ニュースで、面白い話題を取り上げていた。
 それは、世界地図を見て北朝鮮やイラクはどこにある? と最近、メディアに何度も登場した国の位置をきくと、北朝鮮の場合は大学生の1割、高校生の4分の1が、イラクの場合は4割台の大学・高校生が、いずれも正しく答えられなかったと云うのです。

 この事は日本地理学会が22日に発表した、全国調査の結果でわかった事だそうです。調査は、昨年末から今月にかけ、国公私立大25校の約3,700人と、千葉・新潟両県の高校9校の約1,000人を対象に実施したと云うのです。調査対象国は、最近、戦争やオリンピックなどでメディアによく登場した10カ国を選んで、世界地図上の30の番号から選んでもらう方式で行われたと云う。

 調査結果によると、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)についての質問に、大学生は9.7%、高校生は23.9%が間違って答えたと云うのです。又、イラクについては大学生が43.5%、高校生が45.9%が間違えて答えたと云うのです。
 
 更に、今回の調査で標準的な成績だった、ある大学の回答例を調べたところ、203人の学生のうち正しく北朝鮮を選んだ人は179人で実に24人が間違って答えていると云うのです。北朝鮮と答えて国は、韓国が13人、インドが3人、イラン2人、タイ2人、中国2人と答えたのだ。また、昨年8月にオリンピックが開催されたギリシャの回答率は、大学生で23.5%、高校生で40.6%だったと云うのです。

 しかし、上記の結果ばかりか全体的に見ても、フランスが何処と云う質問に、大学生で12.2%、高校生で25.3%。ブラジルが何処と云う質問に、大学生で7.2%、高校生で12.9%の人達が解らなかったと言うのですか驚きです。もっと驚くのは、アメリカ合衆国(米国)は何処と云う質問に、大学生が3.2%、高校生が7.2%の誤解答があったと云う結果に、「まさか!」と思いました。

 このニュースを見て、今の高校生や大学生は、どうしてこんな事が解らないのだろうと思っていたが、それをかばう様に、教育論者が、「実は今の学習指導要領では、高校生は世界史だけが必修で、地理などは選択科目になっている為にこの様な結果が出たのだ」と云うコメントがあったのです。
 でも、百歩譲って考えてみても、日頃あまり見かけない国が問題に出た場合は、この学習指導要領の影響も有るかと思いますが、出された国は、普段マスコミに始終取り上げられている国ばかりなのです。ましてアメリカや北朝鮮が地図上で何処にあるか解らないなんて云う事は考えられないと思うのです。

 こんな青少年が、その国が何処に有るのか、場所も知らずに海外旅行しているかと思うと、呆れてしまうより情けないと思うのは私だけでしょうか? しかし、全部解って当たり前だと思っていた私は、実は30ヶ国中5ヶ国がまるで解りませんでした。 なんだかんだと、偉そうな事を云って大変申し訳有りません。

でも10の質問には、無事に答える事が出来ました事を申し上げておきます、念の為!
# by akiko_550722 | 2005-02-23 17:58

恥ずかしかった検査。

 先日、娘の買って来た看護師用の専門雑誌を見ていたら、昔、自分が受けた検査方法と、随分と内容が変わって来ている事を改めて知らされたのです。

 そこで昔、自分が受けた、ちょっと変わった検査や面白い検査を思い出してみましたので、お話したいと思います。但し、それが何の検査だったか、今でも有らないものもあるので、悪しからず。

 最初の検査は、前日の夜から食事を抜いて、朝の9時頃にある食べ物を食べるように云われたのです。
 それは見た目にはとてもおいしそうに見える「キャベツの炒め物(煮物だったかもしれない)」の上に目玉焼きが乗っている物でした。
 それを10分以内に食べるように云われたのです。当然お腹が空いているので、喜んで食べ始めたのですが、期待に反して、この食べ物は「塩っぱい!」の一言の食べ物で、まるで塩の塊を食べているような感じの味付けだったのです。
 一口食べたら二口目はいらないと思うほどでした。しかし、そばに立っている看護婦が「早く全部食べてください」とストップウォッチを片手に食べ終わるのを待っているのです。
 当然、水などを飲む事は許されませんでした。やっとの事で食べ終わると、その後、30分おきに採血されて、全部で4回の採血が終わってようやく終了したのです。私は終わると同時に飲んだ水が美味しくて、暫くの間、飲み続けていました。この時ばかりは水のありがたさに感謝した事は有りませんでした。これは多分、腎臓の検査だったと思うのです。

 続いては、胃の検査です。当然前日から絶食して、翌日の10時頃より始まるのですが、これは5mm程度のゴムチューブを飲まされるのです。先端に金属製のものが付いているんですが、それをゴクンと飲み込んで徐々に胃袋に届くまで呑み込んでいくのです。そして胃袋に届いたと思われる長さまで飲み終わると、そのゴムチューブの先端から、注射器で胃液を採取するんです。やがて胃液が出なくなると、今度は真っ青な液体を注射器で胃袋に流し込むのです。量は大体500ml位ですが、空腹のお腹が一時的に満足状態になるのです。しかし、それもつかの間、今度は逆に注射器で今入れた液体を採取するのです。その採取した液体を20本くらい並んだ試験管に、一本ずつ入れていくのです。そして、真っ青だった液体が徐々に薄くなっていくのを確認して、元の胃液の色に戻ったら終了となるのです。これは多分胃酸の分泌状態を確認する物だったと思います。

 最後は直腸カメラです。今はファイバー技術が進んで僅か1cm程度の管になったので、検査もかなり楽になったと聞いていますが、私が一番最初に受けた時は大変でした。
 当然前日から絶食で、おまけに寝る前にヒマシ油(下剤)を飲まされて、夜中はほとんど、便器の上状態で、朝を迎えたのです。フラフラになりながら、検査室へ運ばれたのですが、そこで見たものは恐怖の一言でした。そこに用意された器具は、直径4cm位の鉄砲の弾のような金属製の物で、長さが30cmくらい有りました。先端にカメラのレンズと証明用にランプと空気注入口が並んで付いているものでした。要は、この器具を直腸に挿入してカメラの様に覗き込むのです。 
あんな太い機械、入るのって云う感じでした。私は胡坐を書いた状態で寝かされてやがて部屋が暗くなり、ゼリーを塗ったあの器具をあてがわれたのです。「痛いだろうなぁ」と恐怖で頬を震わせていると、先生がいきなり「×××がジャマだ」と言ったんです。すると一人の看護婦がいきなり私のあの部分を手で押さえたのです。「あっ!」とビックリした瞬間にあの器具を挿入されてしまったので、痛みは特別感じなかったのです。しかし、空気を入れられた時は、昔子供の頃、カエルに同じ事をした事を詫びなければと思ったほど、苦しかったのですが、看護婦さんの手の中に収まっている我がサムの事を考えると、そんな苦しみもどこかへ飛んで行ってしまいました。検査が終わって、明るくなった部屋で、眼が合った看護婦さんに思わず顔を赤らめてしまった、純情だった若き日の私でした。

 これ以外にも、痛い検査や恥ずかしい検査を受けましたが、それはそれでまたの機会に・・・。
# by akiko_550722 | 2005-02-22 10:28

一番上の兄の思い出!

 私は中学生の時、兄が勤務していた山村の職員住宅に母と妹の三人が、引き取られた時期がありました。

 そこは本当の田舎と云う様な所で、私と妹が転校した学校は、小学校と中学校が一体となった学校で、生徒数全部で13名と云う規模でした。私はそれまで一クラス60名で学年700名位のマンモス中学校からの転校だったので、その小規模な編成に驚きました。
 しかし兄の住む職員住宅は、学校から100mも離れていない場所だったので、通学にはとても便利でした。しかし、他の生徒は近くて2km、遠い子供は5km以上も離れた場所から、1時間半近くの時間をかけて、歩いて来ると云うのだから驚きでした

 とにかく、今までの都会(普通の街でしたが)からこんな寂しい田舎に来た事を暫くの間、嘆き悲しみました。だって、学校の前の一本道を通る車といえば、一日2回だけやってくる定期バスだけで、それ以外はあまり目にしないのです。本当にその日によって、たまに野菜を積んだ小型トラックが2~3台程度が通ればそれが最大交通量であったのです。実に私はこの学校へ通う生徒以外の人影を1週間も見ない事が有ったのです。

 しかし、そんな田舎ですが住んでいる人たちは非常に良い人ばかりで、私が住んでいたのは僅か1年足らずの期間でしたが、私は十分田舎の生活を堪能させて貰いました。
 特に兄に対する接し方は、こんな僻地で教育に力を注いでいる事が村人に感謝され、いつも手厚く擁護されていました。畑で取れたもの、山で取れたもの、川で取れたものを次々と持ってくるのです。
 そんなある日、近郊の通学路に熊が出没して大騒ぎになった事が有ったのです。それを猟師の方が、無事にその熊を仕留めたからと言って、わざわざ我が家に持って来てくれたのです。
 しかし、兄嫁や母は気持ちが悪いからと云って、捨てようとしたのですが、私と兄は、何時でも食べれる物ではないので、一回は食べてみたいと言う事になり、二人で早速料理に取り掛かったのです。
 熊の固まり肉を一口大の大きさに切って、牛蒡と大根と人参も同じ様にカットして、煮込む準備が出来たのです。
今度は、ストーブの上に鉄鍋を乗っけてその熊肉を茹で始めたのですが、これが結構匂いがきつく、兄嫁と母に随分文句を言われました。しかし、その後野菜を入れて、生姜と味噌を入れて長時間煮込んだら、驚くような美味しさで、母以外(母は元々肉は食べなかった)は結構美味しいと食べていました。

 この様な情景を見ると、兄とは幼い頃から仲良しだった様に感じられると思いますが、実は、この兄は私とは16才も違う事と、物心付いた時には、もう家にはいなかったので、はっきり云って兄弟の感覚も無かったのです。

 しかし、いつも家に居ないその兄が、夏と冬の一定期間だけ我が家に帰って来て、わがまま放題の生活して、最後には持ちきれないほどのお土産をもって帰っていくのです。
幼なかった私は、この事情がまったく理解できなくて、一体このおじさんは誰だろう、なんでお母さんはこんなに親切にして、お土産まで持たせるのだろうと、いつも思っていたのです。
 それが何時の頃か忘れましたが、この人は、我が家の長男で、遠くの町で中学校の教師をしているので、家に帰ってくる時は夏休みか冬休みだけだと聞かされたのです。 

 実はこの兄も足の怪我が原因で骨膜炎を患い、障害者となって、4級の障害手帳を持っていたのです。 自分も障害者である事から、特に私の事については昔から気に留めて居てくれていたのです。妻と結婚する時に、兄に引き合わせた際に、妻に「本当にこいつと結婚してくるのか?」と真面目な顔して聞いたあの日の兄の顔が懐かしく思い出されます。

 しかしその兄も、51歳の若さで「クモ膜下出血」で亡くなったのです。16歳も離れた私の年が、いつの間にかこの兄の年齢を超える事が出来たのは、この亡くなった兄に見守られていたからだと、心から感謝しています。
 だから、これからも兄の分まで頑張って生きて行きたいと思います。
# by akiko_550722 | 2005-02-21 16:11

日本人の卑屈さ加減。

 ある雑誌に書いてあった面白い話を紹介したいと思います。

 昔、大勢の乗客を乗せた豪華客船が氷山と衝突して、もはや沈没しかない状態に陥ったのである。乗客の女子供は泣き叫び、男たちは我先に救命ボートに乗ろうとしている。そこはもう人間の欲望丸出しと云う状態で、本性を丸出しの修羅場であったと云う。
 そんな中で船長は乗組員を召集して、次の様に命令したのである。「この船はもう間もなく沈没する。乗客はパニック状態になっているので、しっかり指示を出すように。最初に非難させるのは女子供で、先にボートに乗せる様に。男達はその次だ。そして最後にお前達だと。船長は船と供に逝く覚悟は出来ていたのです、それが海の掟だからだ。

 更に船長は言った。「いいか良く聞け!パニックに陥った男には、○○○○○○と云って納得させるのだ、わかったな」と船長は指示をしたのである、
 それを聞いた乗組員は頷いて、一斉に救助に走り出した。そして乗組員は男達に、女子供の後になるよう説き伏せて行ったのです。
 英語のできる乗組員は、アメリカ人に「あなたはシルベスター・スタローンのようなヒーローになりたくないか?」と。それを聞いたアメリカ人は納得したのである。
 そしてイギリス人には「あなたはアメリカと仲が良く、そしてジェントルマンだろう」と。これを聞いてイギリス人は納得した。
 ドイツ人がいたので、乗組員は知っている限りのドイツ語で「これはルールだから」と必死に話した。するとドイツ人は「ルールでは仕方がない」と胸を張り納得した。
 さてその横に下を向いた男がいた。良く見ると日本人だった。乗組員はにっこり愛想笑いをうかべ「みんなそうしていますから」と言ったのです。すると日本人笑顔で「もちろんだ」と並んでいる各国の男達の一番後ろに当然の様な顔で並んだのです。

 これだけのお話なんですが、良く考えてみると、これは実にそれぞれの国民性を良く表している、話だと思いませんか? 特に日本人が「みんながそうしているから」と云われて、その指示に従う辺りは、面白いやら悲しいやらと不思議な感情が湧いてきます。

 なぜこんな事を今更持ち出しかと云うと、最近の『ライブドア』の『にっぽん放送』の<株取引>の問題を、一人の議員が批判めいた事を云た途端、自分達の事を棚に上げて、「金の力で何でもやるという事は・・・」なんて云っている議員さんが次々と出て来ている事に、非常に不快感を感じているからです。
 『ライブドア』を支援する訳では有りませんが、所詮この事を批判するような人は、先に書いた愛想笑いをうかべ「みんなそうしているから」と云いながら、一番後ろで順番を待つ日本人と同じ発想しかもてない人達だろうと思うのです。
 このやり方が悪いのか、やった会社が『ライブドア』だからダメなのかと云う問題では無いのでしょうか? 

 『出る釘は打たれる』では、日本に新しい芽は出てこないと思うのですが・・・。
# by akiko_550722 | 2005-02-20 22:32