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 日常の生活の中で、ふと思う事や、考える事、又は自分の過去の記憶を思い出して書いてるエッセイである
by akiko_550722
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友人は工学博士 パート2

以前に、友人である工学博士の斉藤君の話を書いたことがありますが、今日は彼との出会いと、その頃の入院生活を思い出してみようと思います。

 彼との出会いは、私にとって衝撃的な出会いであった。それは私が側湾症で手術を受ける為に入院した、ある大学病院の整形外科病棟で、彼は隣の部屋の住人であったことから始まったのです。
 看護婦さんから、通例通りの入院時の説明などの話や、その他の入院手続きも終わり、付き添って来た家族も帰っていったので、私は一人でベッドの上でこれからの入院生活や手術の事を、ボンヤリ考えていたのです。
 
 するといきなり彼が私の部屋に乱入してきて「あんたも側湾症の手術を受けるのかい?」と言って来たのです。私はあっけに取られて、思わず「はい」と答えていたのです。このいきなりの問いかけが、その後25年間以上もの交際が続く(恋愛では有りませんよ、念のため!)きっかけになるとは思いもしなかった私でした。でもそんなざっくばらんな彼の性格がとても気に入って、その後は常に一緒に行動することが多くなっていったのでした。

 彼は、私以上に障害が重く、右手と両足が完全にマヒしている状態で、「左手一本」で全てを行っていたのです。しかも当時の彼は、北海道大学の大学院・工学部に在籍中のバリバリの大学生で有ったのです。話によると彼が入学が決まった時は、学校の校舎自体がとても障害者を受け入れることなど出来る状況ではなかったと言うのです。しかし学校側は彼の入学を機に、エレベーターやスロープなど、いたるところを障害者仕様に改築したそうである。ですから彼は障害者の進学に多大な功績を残した人間である事を知ったのである。そんな重い障害を持っている彼の、私から見ると異常なくらい明るいところがとても気に入ったのです。

 さて、また入院していた病棟の話に戻りますが、大学病院の整形外科病棟と言えば、ほとんどの入院患者はサイボーグ一歩手前の患者ばかりである。手や足に金属を埋め込んでいる等は当たり前で、中には体のあっちこっちから金属棒が飛び出した患者や、頭に天使の輪のような、金属のリングをボルトで固定されている患者までいるのです。
 ちょっと大人しい患者だと思っていたら、全身ギブスで身動きできない人間だったなど笑うに笑えない状況もあったのです。

 それらの中で、入院して一番ショックだったのが、先ほど出てきた、天使の輪のような金属のリングが、自分の頭にも取付けられると聞いた時であった。ただ幸いにも私の頭に取り付けられる2週間前に、斉藤君が取付けたので、彼から取り付け時の詳細な情報を得ることが出来たので、多少不安はやわらいだ感じがしていた。

 そしてついに私もリングを取り付ける日が訪れたのです。
目の前に持ち込まれたその金具は、頭より二周りくらい大きなリング(輪)であった。そのリングを側頭部に、4本のボルトを打ち込んで頭蓋骨に固定すると言うのである。当然、局部麻酔はするので痛みはあまり感じなかったように思うが、二人のドクターが対角線上のボルトを、ドライバー(ネジ回し)で締め付けて行くと「ミシッ!、ミシッ!」と骨がきしむ音が直接骨を通して聞こえて来て、痛みよりも恐怖が上回っていました。取り付けているあいだ中、私はおしっこがちびそうな感覚を必死に堪えていたのです。この状況を無事に乗り切ることが出来たのは、若くて綺麗な看護婦さんが、私の手を握って、「頑張ってね」と優しく声を掛けこんな続けてくれていたからです。(どんな状況になっても、この様な対応をして頂ければ、いくらでも我慢出来る私でした)

 約一時間くらいの小手術が終わり、やっと自由放免となったのですが、それから暫くあいだ、そのリングを着けた頭のサイズに慣れるまでが大変だったのです。
 その理由は、人間って自分の頭の大きさを感覚的に憶えていて、ドアから顔を出そうとした時など、頭の分しかドアを開けないものなんですね。だからドアや柱にそのリングのボルトがいつもぶつかってしまうのです。その時の衝撃といったら、ハンマーで頭を「ガーン!」と殴られたかのように感じていました。又、寝ている時に寝返りをすると、枕やシーツにボルトが引っ掛かってしまい、頭だけが動かない状況で、まるで首吊りをしているような苦しさで、目が覚めてしまうことがしょっちゅうでした。

 そしてボルトが馴染んできた頃に、そのリングにフックを取り付けて、尚且つベッドでおもりをつけて、曲がっている背骨を牽引するのです。
 私の場合は寝たっきりではなかったので、車椅子の背中からL型の金具を取り付けて、そこにワイヤーでこのリングを引っ掛けて、ぶら下がる方法で牽引してました。これは結構きつかったですよ。なんせワイヤーで頭を吊られていて、腰が浮いた状態で車椅子の乗っていたのですから・・・。
 こんな状況下において、看護婦さんの押す車椅子で病院の周りを散歩をすることが有ったのです。すると、やはり頭についている金属の輪が目立ったようで、中には「あの人、頭が悪いのね」なんて囁くアベック等がいて、私も思わず笑ってしまった事が有りました。そんなことにも懲りずに、その格好で手術寸前まで、斉藤君と一緒に大学病院の隅々まで「観光」、違った「見学」して回ったものでした。

 ところで、お互いの部屋が個室だったこともあって、私たちは消灯時間が過ぎたあとでも、良く一緒に悪さをしていた記憶があります。
 ある時に、私の姉がお見舞いに「毛ガニ」を買って来てくれたことがあったのです。そこで「よし、消灯過ぎたら一人でゆっくり味わって食べよう」と思い冷蔵庫に入れて保管していたのです。そして10時近くになっておもむろに食べ始めたら、猟犬のような鼻を持った斉藤君は、突然ノックもなしに入ってきたのです。(恐るべし、その嗅覚!)
 「み・た・な!」等と冗談を言いながら仕方ないので、一匹の毛ガニを半分ずつ食べる事になったのですが、それはそれで美味しかったし、楽しかった思い出となりました。

 お互い手術までの間、たくさんの問題も発生しましたが、その話は、また後日と言うことで今日はこの辺で・・・。
by akiko_550722 | 2005-06-02 06:45
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