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 日常の生活の中で、ふと思う事や、考える事、又は自分の過去の記憶を思い出して書いてるエッセイである
by akiko_550722
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頑張れナナカマド パートⅡ

 今回、出版したエッセイ集の最後に出ていた、ナナカマドの話の続編です。

 昨年の秋に、妻に無残に剪定されたナナカマドは、今年はついに造反を始めた様である。
つまり今年は枝を出すどころか葉っぱも出さないのです。道路のすぐ脇に植えられている為にそこを通る人たちは、この木は何だろうか?とか、なんかの御神木?などと噂しながら通っている、という事は無いだろうが、ほとんどの人が振り返って見て行くのです。

 ナナカマドにしてみれば、下着の果てまで取り払われたような恥ずかしい姿で、公道の脇に晒されている訳ですから堪りません。スッカリ開き直りで裸のまま今年は過ごす事を決めたようです。

 そんな思いをさせてしまうなんて、なんと可愛そうなナナカマドなんだろう。この事を妻に話すと、「大丈夫、来年には又芽が出てくるよ!」と言い放った。この自信はどこから出てくるのだろうか?

 反骨精神で頑張って芽を出さない方が良いのか、又頑張って芽を出した方が良いのか解かりませんが、私の言える事は「頑張れ、ナナカマド!」の一言である。
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# by akiko_550722 | 2005-07-09 10:18

ページ移動の理由?

 最近、エッセイなる文章が書けなくなって来ている。
 多分、自分のエッセイが本になったことで、簡単に文章を公開する事に不安があるからだと思います。毎日途中まで書いているのですが、それを校正しているうちに、最初に書こうとしていた内容とスッカリ変わってる事が多いのです。そんな事を繰返しているうちに、今日は止めたと言う事になるのです。

 なんか難しく考えてしまうのです。以前のように、思いつくまま文章に出来なくなってしまって、困っています。
 エッセイ集の校正期間を休ませて貰って、それらが終わった頃から復帰する事を誓ったのですが、毎日更新するどころか、飛び石的公開で、最近では平気で4~5日も間を空けてしまっています。そこで思い切って、エッセイは出来上がったときに公開する事にして、別館に設置する事にしました。

 その代り、トップページに『あした天気になぁ~れ!』と言う、私の独り言を毎日公開しようと思います。このページを停止する訳では有りませんので、こちらのページも時々覗いてください。

 それではヨロシク!
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# by akiko_550722 | 2005-07-07 16:09

送られてきたチワワの正体は・・・。

 アルファが我が家に来て1週間が経ちました。
今だに、ムック君とは兄弟の契りを交わす事は出来ません。アルファはそばに行きたいのですが、ムック君は何か恐ろしい物を見るような目つきで見ていて、そばに行くと慌てて逃げて行くのです。でも初日から見ると少しは良くなっているようなので、仲良く暮らせるのは時間の問題だと思っています。

 そのアルファ君、一週間で100g増えました。ドックフードをお湯でふやかしたものを日に二回与えているのですが、その食べる勢いは物凄い速さです。本当にあっという間に食べてしまいます。まるで飲み込むように・・・。その食後5分以内に駆らずウンチをします。それが確実に行う姿は、まるでウンチ製造機のようです。

 ところで以前聞いた話ですが、ペット購入で面白い話があるのでお話ししたいと思います。
 有る知り合いの人が、インターネットのペット紹介コーナーで、格安のチワワの販売を見つけたのです。それを見た子供が是非買ってくれと哀願するので、子供達のお願いに折れて、購入を決めてお金を添えて申し込んだそうです。

 待つこと数日後に送られてきた犬は、思っていたより大きなチワワ(?)でした。でも子供達は大喜びで名前を付けたり、世話焼き当番を決めたりで一生懸命だったそうです。しかし、餌となるペットフードをやってもあまり食べないと言うのです。 色々な餌を試しても一向に食欲を沸かしてくれないと言うので、心配になった両親は、ペット病院に連れて行ったそうです。

 獣医さんに「購入してからまだ2日目なんですが、この犬、全然餌を食べないんです」と症状を話したところ、その獣医さんから驚くべき事実を知らされたのです。
 「おかあさん、これは犬ではなく、ヤギですよ」と・・・。それを聞いたお母さんは絶句したそうである。

 そうなんです。インターネット詐欺だったのです。本人達はチワワが送られてきたと思い込んでいるので、思った以上に大きかったが、まさかヤギだとは思ってもいなかったようなんです。
 私は「そんな馬鹿な、ヤギと犬を間違える訳がない」と思っていましたが、それが嘘みたいな本当の話だと言うから驚きました。

 このことで傷ついた子供達の事も心配ですが、更に心配なのがこのヤギのその後でした。最近聞いた情報では。ちなみにこのチワワいや、ヤギは動物園に引き取ってもらったそうです。今頃はペットフードではなく新鮮な草を食べて、ヤギに生まれた事を喜んでいるのではないでしょうか?
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# by akiko_550722 | 2005-06-28 07:47

立ち退き命令!

 昨日の続きである。
 友人が遊びに来ても大丈夫な部屋と言う前提で部屋探しを始めて、3週間後に最適な部屋が見つかったのです。それは一軒家で格安な物件であった。

 場所的には街から多少離れているし建物もかなり古いが、大家さんが昔住んでいた家で、新たに同じ敷地に新しい家を建てたので、物置にでもしようかと考えていたそうです。2DKで間取りも家賃も、最適であった。早速契約をして翌日には引っ越してしまった。

 大家さんは年寄り夫婦だけで生活しており、私の生活まで心配してくれる様な優しい人でした。でも私も自炊生活も結構長いので、食事等は十分こなす事が出来たし、ここだけでの話ですが、当時は女の子に人気が有り(男として見られていなかったのだと思うけど・・・笑)何人もの女の子が入れ替わり家に来て、食事の支度や掃除などをしてくれていたのです。

 入居当時はそんな生活を見て、大家さんも安心していたのですが、問題が発生したのはそれから1ヶ月も経たないうちに起きたのです。
 その日は私が会社で、改善提案で表彰されたお祝いに何名かでのみに行ったのです。その帰りにわが家で飲み直す事になったのですが、その店にいた他の同僚たちも一緒に来る事になって、総勢約10名にもなっていたのです。
 ほとんどが完全に出来上がった酔っ払いたちでしたから、タクシーを乗り継いで家の前に付いた時は大騒ぎでした。
 まだ11時を廻った頃だったのですが、近所の家の窓から、「うるさいぞ!」との罵声を浴びてしまい、私は以前の追い出されたアパートを思い出して、慌ててみんなを宥めて家の中に招き入れたのです。

 取りあえずその後は静かに部屋に入り、ありあわせのつまみで飲み始めたのですが、最初の頃は一応気を使って、あまり騒がずに飲んでいたのですが、それでも10名からの人間が酒w0を飲んで話している訳だし、クーラーなんか無いので窓は開けっぱなしだったので、隣近所はかなりうるさかったと思います。

 そんな時、新たに別な友人二名が「とうきび」と「スイカ」を持って遊びに来たのです。その友人か、お土産かは分からないけれど、大歓迎されたのです。早速スイカを割って、「とうきび」は皮をむいて茹で始めたのです。

 そんな楽しい宴も、朝方の5時過ぎには自然散会となり、気が付いたら4~5人がそこら辺に雑魚寝していた状況であった。
 そこへ、角の家の親父さんが訊ねて来たのである。「家の前の畑からトウキビとスイカが盗まれたんだけど、まさかお宅じゃないだろうね?」と切り出してきたのだ。そう言えば、あの時間帯に皮付きのとうきびや、スイカを持ってくる自体おかしな事だったかもしれないと思ったのだ。ひょっとして、いや間違いなく友人のやった事に間違いないと思ったのです。それは数日前にその友人とその畑の横を通った時に、「これなら通りすがりに持っていけるな」と話していたからなのです。

 焦った私はその親父さんに「私は知らなかったのですが、多分間違いなく友人がやったと思います。大変申し訳なく思います。全て弁償しますので警察には届けないで下さい」と言って、街で買えば今回盗んで来た品物の三倍くらいの金額を差し出したのです。すると「あんたに言っても仕方の無い事かもしれないが、今度やったら絶対に警察に届けるからね」と言ってそのお金で許してくれたのです。

 ホッと胸を撫で下ろした瞬間に無性に腹が立ってきました。なぜこんな事で私が謝らなければいけないんだろう、どうしてやって良い事と悪い事が判らないんだろうか等と考えると、情けなくなりました。しかし、問題はそれで終わらなかったのです。この話が近所中の噂になり、大家さんに伝わったのです。

 それから数日たって、家賃を届けに行った時でした。
「あんたは良い人だし、文句を言うのは筋違いかもしれないが、友達が悪すぎる。私も近所の手前もあるので、今月分の家賃は要らないから出て行ってほしい」と言われたのです。
 ビックリした私は何とかこのまま住まわして欲しいとお願いしたのですがおばあちゃんの大反対で、結局家を出て行く事に決まったのです。全て酒の上の出来事で、自業自得ではありますが、悲しくも切ない立ち退き命令でした。

 でも、だからと言って友人を悪く言うつもりは有りません。それは楽しく過ごした想い出として、今では笑いながら話せる出来事となってしまったからです。とうきびとスイカを盗んだ友人も今は立派な社会人として働いています。今更これをネタに恐喝をしようなんて考えてもいません(笑)。しかし、私のお陰で問題にならなかった事を知っているんだろうか?


 とかくお酒が入ると気が大きくなって、それで失敗した人は沢山いると思います。これはそんな男の哀れなお話でした。
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# by akiko_550722 | 2005-06-25 08:01

部屋を追い出された思い出。

 好天が続き、ようやく北海道も真夏日を記録し、毎日「今年は寒い!」とぼやいていた私は手のひらを返したように「やっぱり多少寒いほうが良い」と愚痴を言ってる今日この頃である。

 こんな暑さで思い出すのは、むかし会社帰りに同僚といつもの行きつけのお店でジョッキーを二~三杯のんで、わが家で飲み直すのがいつものパターンだったのです。しかしこんな事を繰返していた為に、それが原因でアパートを追い出された事が二回も有るのです。今日はそんなお話をしてみましょう。

 最初の家は、一階がお肉屋さんとそれを経営している大家さんが住んでいて、二回がアパートになっていたところでした。
 私自身は大家さんともその他の住人とも、とても上手くいっていたのです。しかし、入居して2ヶ月位の頃でした。いつものように会社の帰りに同僚三人と飲みに行って、ある程度酔った勢いでわが家でのみ直しをする事になったのです。
 そして明日は休みと言うこともあって、更に後から2名の女性と3名の男性が参加してきて、その日は羽目を外して飲み続けたのです。8畳の部屋は座るところが無い状態となり、ベッドの上までが宴会場と化したのです。

 私は最初のうちは、隣近所に迷惑だから、「大きな声を出さない」「トイレは共同なのできれいに使え」などと注意をしていたのですが、酔いが廻るにつけて自分が一番先に大声を出していたのである。
 すると間もなく隣の住人から注意されたのです。最初は「すいません、申し訳分けない」と素直に謝罪していたのですが、段々とそれが「うるさいのはどっちだ!」と逆切れして文句を言うやつまで現れてもはや収拾が付かなくなってきたのです。

 それでも明け方の4時過ぎには数名の人間は帰っていったが、部屋には空き缶と空き瓶の間に数名の人間が横たわっており、酒とつまみの燻製の匂いが異様な環境を作り出していたのです。
 そんな中でウトウトしていると、ドアがノックされたので出てみると、いつも優しい大家さんが、物凄い形相で「他の部屋の人達が大騒ぎしていますよ、どうするんですか?」と切り出してきたんです。聞くところによると、昨夜は3時半くらいまで大騒ぎで、トイレも嘔吐物で汚れて酷いという話なんです。私は「早速掃除もしますし、皆さんの所へ謝罪に行きますから、今回のところは・・・」と、平謝りをしたのです。

 それからすぐに、二日酔いでふらつく体と強烈な嘔吐感に襲われながら、トイレ掃除にチャレンジしたのです。一時間ほど掛かったのですが以前より数段キレイになったトイレを見て、自画自賛して、「これで文句無いだろう」と、今度は改めて部屋掃除に取り掛かったのです。
 寝ていた友達が「もう少し寝かしてくれ」とつぶやいた言葉を聞いたとたん、私は「誰のせいでこんな酷い目になっていると思うんだ。サッサと帰ってくれ」と怒鳴って追い出したのである。

 そして夕方にはアパート住人5件分のお菓子を買って謝罪に廻ったのです。全ての家が「こんど同じ事があったら出て行ってもらうように大家さんにお願いしましたから」だった。ごもっともです・・・。

 あんな馬鹿な事はもうしないと心に誓っていました。
しかし、それから三ヵ月後のある日、友人達と明け方まで飲んでスッカリ酔いつぶれてしまった私は、その友人たちに抱えられるように自宅に帰ったのです。そのまま寝てしまった私は、またもや大家さんの訪問で起こされてしまったのです。そして大家さんから昨夜の話を聞いて私は愕然としました。

 大家さんが言うには、明け方近くの4時頃に、鍵が掛けられていた共通の玄関ドアが開かないのに腹を立てた友人が、ドアを壊してアパートに入って来たと言うのです。その物音に気づいた大家さんが注意したところ、友人達はかなり毒づいたと言うのです。こんな状態では部屋を貸して行く事が出来ないので、早急に部屋を立ち退く事を要求されたのです。

 ハッキリって弁解の余地は有りませんでした。唯一救われた言葉は「あなたは良い人だけど、友達が悪すぎるよ」だった。でも友達だって悪い人では有りませんよ、念のため。
 でもそれからは友人が遊びに来ても大丈夫な部屋と言う前提で部屋探しを行った為に、結構な時間が掛かりました。

 しかしその新しいところでも・・・。それは明日に続くということで。
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# by akiko_550722 | 2005-06-24 08:39

今年の「父の日」は・・・。


 今年の父の日は6月19日だと言うことは、マスコミなどで盛んに煽り立てるものだから、ほとんど見込みのない私までヒョットすると、私にもプレゼントを頂戴できる見込みが有るのではと、思い込んでしまったのである。まして2週間も前から、新聞の折込チラシには「父の日」の文字が踊りまくっているのですから、それを見ていないはずがないからである。

 しかし、その新聞の折込チラシを片付けながら、「今年はクールビズなどと言う言葉が出来て、ネクタイの売上げが悪いみたいだね」などと暗に父の日のプレゼントをアピールしてみるが、わが家の女性陣からの答えは期待した解答からは大きくかけ離れた内容であった。

 これでは今年も父の日のプレゼントは期待できないなと思っていたのです。
ところが18日の昼頃、日中一人で留守番をしているところに、娘の彼氏が父の日のプレゼントを持って遊びに来てくれたのです。私は思いがけないプレゼントに感激して、思わず顔がほころんでしまいました。プレゼントの中身はクールビズに沿った感じのカッターシャツであった。(エッセイ集の出版が新聞に掲載されたのですが、その時に撮影された時に着ていたシャツが、そのプレゼント品である)

 これをみんなに見せびらかして驚かそうと思っていると、夕方遅くに娘が友人と一緒に帰ってきて、「これ、父の日のプレゼント!」と紙袋を差し出したのである。なんと娘もプレゼントを買って来てくれたのである。
 それは以前にチラシに乗っていて、私が欲しいと言っていた「甚平」であった。家でゴロゴロしている私にとって一番ありがたい贈り物である。こんな風に私の事を思っていてくれているのに、勝手に自分には贈り物などくれないだろうと思っていた事を猛烈に反省しました。そして早速着させてもらっています。そんな訳で例年と違って、今年の父の日はそれなりに満足のいくものだったのです。

 えっ!奥さんからのプレゼントはなんだったか聞きたいって? せっかく良い気持ちでいるんだから、そんなこと聞かないで下さい。
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# by akiko_550722 | 2005-06-22 18:50

新しい家族の紹介です。

 わが家にとても可愛い家族が増えました。でも妻が妊娠出産した訳では有りません。ハッキリ言って私にはそんな元気は有りません。($・・)/~~~

 それは娘が以前から念願だった希望通りのチワワが見つかったので、是非買って帰りたいと言う話から始まったのである。
 それは友人と別の買い物に札幌へ行ったついでに、立寄ったペットショップに彼は待ち構えていたと言うのです。そこで早速私のところに携帯で写真を送ってきて、購入許可を求めて来たのである。

 写真を見ると確かに可愛いし、私も内心はムックも老齢である事から、もしもの場合に妻がペットロスに掛かる確率が高いと考えているので、それまでにもう一匹購入して少しでも気分を和らげる必要があると思っていたので、特別反対する気持ちは無かったのです。

 しかし、以前から妻は新たに子犬を買うと、みんながムックを「ないがしろ」にする可能性があるのでダメだと言っていたので、いきなり連れてくるのはまずいのではないかと思い、取りあえず今日は我慢して帰ってくるように、説得したのでした。
 我慢して帰ってきた娘は、その犬を購入する為にあらゆる詭弁(?)を使って妻を説得したがその日は解決しなかったようである。

 それでも諦めきれない娘は、翌日の朝に私をそのペットショップに一緒に見に行く事を提案してきたのです。私は意志薄弱な性格なので、その犬を見たら「買ってもいいよ」と言うような気がするので、躊躇したのですが、そんなに可愛いなら見てみたいという要求には勝てず、一緒に行く事にしたのです。

 お店には沢山の子犬が陳列されていましたが、娘の話していたチワワの子犬はその中でも一番小さくて可愛い顔をしていました。体重わずか500gで、まるでぬいぐるみが動いているようであった。この犬を見た瞬間、私は妻の反対意見は負け犬の遠吠えの如しと思ったのである。

 早速、私たちは値段交渉を始めたのです。最終的に表示価格より3万円ダウンで購入する事が出来ましたた。そして帰りの車の中では、いかに妻を納得させるかと言う話題で、いつもは長く感じる一時間半の道のりが、とても早く感じたのです。
 でもそんな心配をよそに妻はその子犬を見たとたん表情が緩み、「やっぱり買って来たの・・・」の一言で終わったのである。これには娘も私もホッとしたのである。そしてその日の内に名前決めるのと餌の与え方などをみんなで憶えました。
 
 名前は「アルファ」と決めました。名前の由来は、ムック+αだからアルファ。男の子です。これから時々話題として取り上げますので宜しくお願いします。

 しかし、全てが上手く行った訳では有りません。それはムックが突然の小さな生き物の出現で怯えてしまっている言うことです。
 まだアルファは小さいのでゲージに入れているのですが、少しずつ部屋の放し飼いに慣れさせる為にゲージ時から時々出すと、アルファは喜んでムックのそばに行くのですが、ムックはアルファが近づくと逃げ回るのです。まだ二日目ですから受け入れてもらえないのかもしれませんね。多分時間が解決してくれると思うのですが、上手く仲良くなれる方法はないでしょうかね。

 でもこの家族が増えたことで、今後の生活にどんな影響が出るか楽しみです。
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# by akiko_550722 | 2005-06-21 07:59

竜之介くんは5歳ですが、偉い!


  再びテレビの話題です。
 「さんまのスーパーからくりTV」という番組があることは知っていますよね。この中にいまギター少年、竜之介くんと言う5歳の男の子にスポットが当たっていますが、我が家ではとても人気がある少年です。
 
 彼はギターの腕前も凄いのですが、大阪弁で話すその話の内容も、大人顔負けの感じで思わず唸ってしまうような感じ子供なのです。その竜之介くんが、先日番組デレクターの質問に答えた内容にとても感動したのでその内容をお伝えしたいと思います。

 その日の取材の際に、竜之介くんと一緒に新聞のチラシを見ていたデレクターが、チラシに載っていたゲームソフトを指さして、「ゲームなんかに興味はないの?」と竜之介くんに質問したのである。すると竜之介くんはこう答えたのです。「嫌いじゃないけどな・・・。俺は闘いのゲームが嫌いやねん。どっちかというと、ワンちゃんなんかを育てていく方が好きやねん」と言うのです。

 これを聞いたデレクターが「どうして闘いものが嫌いなの?」と聞くと、竜之介くんは見ていた私達一家の胸を熱くするような発言をしたのです。
 「悪者でもなあ、殺したったら可哀想やもん。そやろ? だから悪いのを直してやるとかしとったらええのに、みんな殺すやろ、それが嫌いなんや」と言ったのです。

 私は、たった5歳の子供から、人間に取って一番大事なことを教えられたような気がしました。
 最近のニュースに出てくる暴力事件の当事者達である青少年たちに、彼のこの言葉を聞かせてあげたいと思いました。それは彼たちが起こした事件は、まさにゲームと現実の区別が付かなくなっていると言われても仕方のない事件ばかりだからです。

 私はこの竜之介くんのような子供ばかりであれば、日本の将来も安心なんですが、今の青少年の考え方は理解できません。 
でも竜之介くんの言うのように、「悪ければ直してやる」と言う気持ちが必要なんだと言う意見を聞くと、自分自身の考え方に多少反省しなければいけないことだと思います。

 そんな戒めを込めて、この竜之介くんのこの言葉をもう一度かみしめたいと思います。

 「悪者でもなあ、殺したったら可哀想やもん。そやろ? だから悪いのを直してやるとかしとったらええのに、みんな殺すやろ、それが嫌いなんや」
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# by akiko_550722 | 2005-06-14 16:58

最近のムック君と私

今日は久々に我が家の愛犬、ムックくんの近況をお話ししたいと思います。

 ムック君は寄る年波に勝てず、一日の大半は寝ています。時々思い出したように起き出して、水を飲んで、オシッコしてまた寝てしまいます。私は何とか相手をして貰いたくて、色々とちょっかいを掛けてみるのですが、全て無視されます。

 今は、ほとんどの歯が無い為なのか、寝ていると口から舌が出てままなって寝ていることがあるのですが、時々その舌が乾いて唇に張り付いたまま、取れないで困っている時があります。でもその姿もとても可愛いのです。

 最近は歯がないせいもあって、ムック君の食生活もだいぶ変わってきました。以前は小型犬用の小さなスナック系のドッグフードだったんですが、最近はソフトビーフ系のドッグフードに変わってきました。

 でも妻は、ムック専用に牛肉を湯がいて、小さく切って与えることがよくあります。私にはカロリー控えめにしなさいと、常に粗食を強いている割には、ムック君には贅沢三昧でかかる費用も問わないようである。

 先日もいつものソフトジャーキーが無かったなどと言って、見たことがないものを買ってきた。よく見ると鶏のササミそのものを薫製にしたようなものである。
「食べるかどうか解らないけど、やってみてよ」と言うのである。確かに袋にはドッグフードと書いてあるんですが、とてもそうは見えないのです。真空パックになっているそのササミを出してみるととてもいい香りがするので、試しに食べてみたのです。
 すると犬には勿体ないようくらい美味しいのです。これなら細かく裂いてマヨネーズでも掛けて、ビールと一緒に出されたら、下手な居酒屋の「お通し」を超えてしまうと思ったのです。でも我が家のムック君はワガママだから気に入らないらしく、そっぽを向いたままである。

 そこで妻は、またしても牛肉の薄切りの湯がいたものを持ってきて、「仕方ないからこれやってちょうだい」と言うのです。私が「これ嫌いだから、違うもの作ってよ」なんて言ったら、「食べたくないのなら、食べるんじゃない!」と一括されるのに、このムック君との差はいったい何なんだ?
 
こんな状況の中で、いつもムック君の待遇と比較して、ひとり寂しく悲しみに暮れている私でした。(笑)
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# by akiko_550722 | 2005-06-11 18:23

本当に楽しい旭山動物園!

 昨日は、娘と妻の休みが久々に一致したのです。いつもなら昼近くまで寝ている娘が8時前に起きてきたのです。「目が覚めてしまった・・・!」と言う娘に、私は「きっとお父さんをどこかに連れて行ったらと、神様が言っているんじゃないのかい?」とカマをかけてみたら、「何処行きたいの?」と聞いてくれたので、「今、話題の旭山動物園!」と言ってみた。

 「でも、旭山動物園は結構広いから、見て歩くのが大変だよ。絶対に車いすに乗らないと、きっと途中でのびてしまうよ」と普段車いすに乗るのを嫌っている私にそう言ったのです。
 私は「それでは、ご迷惑でしょうが、車いすに乗車させていただきますから・・・」と茶目っぽく答えると、妻と娘はそれじゃ連れて行こうかと言うことに話がまとまったようでした。

 自宅から旭山動物園まで高速道経由で約3時間のドライブは私が運転して行きました。最近はあまり遠乗りしていないので、気分転換には最高でした。今は立派なカーナビがあるので、道に迷って夫婦喧嘩することもなく、まっすぐに動物園に着くことが出来たのです。

 この旭山動物園には始めていきましたが、テレビなどで、障害者にも優しい動物園だと聞いてはいましたが、人気先行でそれらのサービスがおざなりになっているんではないだろうか思っていましたが、駐車場に車を止めるときから、その考えは間違いであったことを知らされたのです。

 まず駐車場で私が障害者で歩くのがあまり得意でないことを話すと、玄関のすぐ横の場所に業者の車を移動させて止めさせてくれたのです。さらに入場口で車いすの貸し出しを受けようと、車いす置き場に行ったところ、電動の三輪車椅子が数台あったので、お金がかかってもこの方が妻や娘も楽だろうと思い、金額を来たところ、運転できるんであれば、無料だと言うのです。

 結果論ですが、この園内は地形的にかなりの急激な坂が多いのと、全部の施設を見る為には、かなりの距離を歩かなければなりません。ふつうの車いすを借りていたら、妻と娘にかなりの負担を強いていたのではないかと思われたのです。それが、電動の三輪車椅子のお陰で、妻と娘に負担をかけることなく、更に二人の後を遅れることなく一緒に見て回ることが出来きたのです。

 そして、どの施設もとても満足のいくものばかりでしたがその内の何カ所か紹介しましょう。

 まずはアザラシ館。アザラシの親子がガラスの円柱のなかで立ち止まり、らこちらを見ている様子に「可愛い!」の声が一斉にあがる。このアザラシはどんな気持ちで我々人間たちを見ているだろうかと、ふと思ってしまった。
シロクマ館では、真っ白な大きな熊が気持ちよさそうにスイスイ泳いでいました。テレビでは何度も見た光景でしたが、実際に見ると何故か感動すら覚えました。そんなシロクマに巨大動物の凶暴さはまるで感じられなかったのです。
ペンギン館でも、地上ではヨチヨチ歩きのあのペンギンが、水中トンネルの上や下を、まるで空を飛んでる鳥ように泳ぎまくっているのです。その光景は、なにか異次元の世界へ入ってしまったように感じです。

 猛獣館にいたクマさんは、普段は別々にいるという雄と雌がちょうど発情期に入っており、この一定期間は一緒の檻に入れていると言うことで、雄熊は雌熊の尻ばかり追いかけて、ひっきりなしに交尾を繰り返しているのです。それを見た若い女の子たちが「キャァ~、いやだ~!」と大騒ぎしていましたが、クマだって、見せたくてやっている訳ではないので、そんな言い方は心外ではないかと、私は思ったのですが、クマのために何の弁護も出来ずに、「人前なんだから、少しは我慢しなさい!」と雄熊につぶやくのが精一杯でした。

 その次に見に入ったのがオラウータン館で、17メートルの高さに張られたロープを、子供を抱えて渡る母親オラウータンに拍手喝采でした。渡って来たこちら側にある遊具の上まで来ると、一人(一匹かな?)遊ぶ可愛らしい子供のオラウータンの動きに、ハラハラドキドキしながら、長い時間見守ってしまいました。まるで人間の子供と同じような行動をとるその姿は本当にいつまで見ても飽きませんでした。

 最後に行った猿山は本当に楽しかったです。ちょうどランチタイムだったので、至るとことに餌が置かれており、それを食するのに一生懸命のお猿さんたちでした。そこで娘が奇妙な行動をしている猿たちがいるから見てと言うので、そちらの方へ行ってみた。すると、2~3匹の猿が、まるでイスラム教の信者のように床に手をついて、拝むような格好で、頭を床に押し着けているのです。その格好がとても可笑しかったのでよく見てみると、頭の上に吊してある箱から出ている棒を振ると、ヒエか粟が落ちてくるんですね。その餌があまり小さいので、手で拾うことが出来ないために、手でかき集めて直接口を地べたに付けて食べていたのです。その仕草が本当に可愛いのです。一度皆さんも見に行って下さいね。

 時間も忘れてと言う言葉がありますが、あっという間に約5時間が経過していました。本当に楽しい時間でした。昨日は平日と言うこともあって、来場者数もそれほどでなかったのですが、札幌の姉に聞いたところ、是非行こうと意気込んで2回ほど旭川まで行ったけれど、動物園の近くになると渋滞がひどく、
あきらめざるを得なかったと言っていました。私たちは運がよかったと、言うことなのかもしれませんね。

 家に着くとグッタリとしてしまいましたが、またいつか行こうねと、娘と約束して、いつもより早く就寝しました。

 あ~疲れた!
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# by akiko_550722 | 2005-06-10 17:09

友人と行った思い出の旅行 その2

 昨日の続きである。

 我々一行は釧路を出発して、幸福駅へ向かうことにしたのですが、その幸福駅の手前10km位から雪が降り始めて来たのです。今日は5月3日なのに雪が・・・って感じで我々も驚きであった。でも今回は峠越えが多いこともあって、冬タイヤを履いたままだったので安心して走ることが出来たのです。
 そんなこんなでワイワイ騒いでいる内に襟裳岬についてしまった。でもこのあたりから、リーダーシップを取っていた、S君が体調不調だと訴えて来たのである。話を聞くと寒気がして頭と喉が痛いと言うのだ。確かに顔色も悪く辛そうである。自宅までまだ6時間くらいかかる予定であるために、とりあえずどこかの病院で診てもらおうと言うことになり、近くの救急病院に飛び込んだのである。

 診察の結果、明らかに感冒で扁桃腺がかなり腫れているとの話である。医者の話では「かなり疲れているようなので、暖かい部屋でゆっくり休まなければ悪化するよ」と驚かされたので、みんなと相談の結果、近くに旅館に宿泊することに決めたのです。

 最初はS君の安静のための宿泊だったのですが、夕方すぎるとやっぱりお酒が恋しくなり、近くのスーパーで酒とつまみを買って来ていつの間にか宴会へと発展していったのです。さらに寝込んでいるS君まで起こして、「酒を飲まないと治らない」などと訳の解らないことまで言い出して、飲み会は夜遅くまで続いたのです。

 そのお陰もあって(?)、翌朝にはS君もすっかり回復して、元気に出発することが出来たのです。本当であれば昨日の夜遅くに自宅に着いている予定だったのが、S君の急病によって旅行計画が一日多くなった訳で、札幌で少し遊ぶ時間が出来たのです。昼食を取ったあと、このまま帰るのも勿体ないので、どこかで遊ぼうと言うことになって、みんなと相談したところ、今話題のポルノ映画を見ようと言うことになったのです。

 なんせ、私たちの町には映画館がないので、映画を見るときは隣町まで行かなければならないのです。でもポルノ映画を見にわざわざ見に行くことなど恥ずかしくて行けないので、こんな時でなければ見るチャンスがないのである。映画の内容はまるで覚えていないが、それよりそこで私たちはとんでもないものを見てしまったのです。

 それは二本立ての幕間に場内の照明が明るくなったときでした。「結構混んでいるなあ」と何気なく後ろの観客を見渡したのである。すると我々のすぐ後ろにある人物を見つけたのである。 
 それは、普段は鬼の○○と呼ばれている親会社の製造部長であった。普段は我々の職場に週に一回程度来て、精神論をぶっていく堅物である。まさかこんなところで会うなんて夢にも思っていなかったので驚いてしまった。まして私たちは、この人は絶対にポルノ映画などとは無縁の人間だと思っていたからです。
 私は慌てて隣にいたS君に伝えたのである。S君は「まさか?」と言いながら振り返って、その部長を確認して固まってしまった。それからはまるで伝言ゲームのように次々とみんなにそのことを伝えたのです。そのために我々は二本目の映画は、後ろの彼が気になってほとんど見ていなかったのである。

 帰りの車の中では彼の話で盛り上がり、大はしゃぎであったがその話のお陰で疲れ切っている割には元気に帰宅することが出来たのです。
 後日、いつものように彼が職場に来て、いつものように「檄」を飛ばしていったが、そこにはいつもの彼が放つオーラや威厳は、もはや跡形もなく消え去っていたのである。そこにいるのは只の助平な中年のオッサンであった。

 このことから私は、何処で誰が見ているか解らないので、行動は慎重にしなければならないと、思い知ったのである。
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# by akiko_550722 | 2005-06-09 09:02

友人と行った思い出の旅行 その1

 ちょっと時期的にずれていますが、数十年前のゴールデンウィークに(私は27歳位だったと思います)、当時、勤めていた会社の仲間と連休を利用して旅行しようと言うことになったのです。

 そこで私は、以前テレビで見た、釧路の市場で食べる朝食の映像を思い出し、絶対にそこへ行って食べてみたいと主張したのである。するともう一人の人間は「俺は知床岬で遊覧船に乗ってカモメにえさをやりたい」と言うのです。これらの意見が取り入られて、道東方面に二泊三日の計画で行くことにしたのです。

 当日の朝早く、我々は会社の駐車場に集合して、一台のワゴン車に乗り込み出発したのです。その日は天気もよく快調に車を飛ばし、旭川から層雲峡を経由して石北峠を目指したのです。さすがに石北峠にさしかかると四月末だというのに、雪が残っており、休憩で立ち寄ったドライブインではあったかい蕎麦がとても美味しかったのを覚えています。

 そして午後の二時過ぎに知床に到着し、さっそくW君が力説していた遊覧船に乗ることになったのです。みんなでカモメの餌となる「カッパえびせん」を片手に乗り込みました。やがて沖に出たのですが、どこを見渡してもカモメの群衆など見あたりません。H君が笑いながら「どうやってカモメに餌やるんだ?」と、嫌みっぽくW君に言ったのです。
 するとW君は「こうやって待つんだよ!」と右手に一本の「カッパえびせん」を手にして高々と手を上げたのです。するとそれまで一羽もいなかった空に、まるで映画にようにカモメたちが飛んできたのです。そこで我々も慌ててW君と同じポーズでカモメたちを待ったのです。すると信じられないことに、空には何百羽のカモメが集まって来て、私たちの指先から次々と「カッパえびせん」を啄んで行くのです。

 私たちはこのカモメたちに餌をやることに夢中になり、スピーカーから流れる観光案内も、自然溢れる知床の景色は何一つ覚えていませんでした。それよりも野生のカモメに直接餌をやることが出来たことと、ヒッチコックの「鳥」を思い出すような鳥の大群に感動していたのです。

 その夜は網走に一泊して、翌日は阿寒や摩周湖を見学して根室経由で、釧路の一泊したのである。そして翌朝、私が今回の旅行の最大目的である、和商市場での朝食である。これを食べるためにホテルも私が歩いて二分程度の場所を選んだのである。

 しかし、朝早くから騒ぐ私を横目に昨夜の疲れから、朝飯いらないなんて言うヤツもいたのです。そこで私はこの朝食の楽しさを説明して連れ出しました。この食事は、ご飯を買って、新鮮なお刺身をお好みで選んで自分だけの海鮮丼を作って食べることが出来るのです。

 早速、和商市場に行った私は、大盛りのどんぶり飯を買って、たくさんのお店を回って吟味したのです。とあるお店のネタが気に入ってそこの、中トロとイカ、ウニとタラバガニ、ヒラメとイクラをトッピングしたのです。それで値段が1600円位だったと思う。そして近くのベンチに陣取って我を忘れて食らいついたのです。うまかったなあ。思い詰めていただけあって、その満足度は言葉では表せませんでした。
 ほかの連中もそれぞれ自分の好みに合わせて食したようで、みんな満足したようでしたから、引き連れてきた私の立場も安泰というわけです。そしてこの後、襟裳岬経由で帰ることになったのですが、大変なことになって行くのですが、それは明日のお楽しみと言うことで、今日はこの辺で・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-06-08 16:00

私のホームページが一周年!

 今日は、私がホームページを公開して、ちょうど一周年となる記念日である。

 私が体調の悪化に、このまま勤務を続けて行くのは無理だと判断して、約二十年勤務した電子部品工場を退職したのは三年前である。そして在宅勤務が出来る仕事を求めて、2年間の訓練校でのCADの技術習得を目指したのです。

 しかし、訓練を始めて一年目の暮れに、突然の呼吸困難に襲われ、救急車で緊急搬送される出来事が発生したのです。病院に搬送されたときは、もはや危篤状態であったらしい。すぐに気管切開を行い人工呼吸器に接続されたという。しかし、昔から命根性が汚く、何度も死に掛けては持ち応えてきた私ですから、今回も約二ヶ月間の意識混濁の中から無事に生還したのでした。

 その後、順調に回復した私は、約三ヵ月間の入院生活から再び訓練校での再教育を受ける事になったのです。周りの人たちからは、訓練を継続していくことは無理だろうと、退校を進められたのですが、担当教官や同級生の励ましに、その後も卒業を目指して訓練を受けたのです。

 そして努力の甲斐があって数々のCADの資格も取らせていただき、訓練校での目的は十二分果たしたのでした。普通は卒業と共に再就職を検討するのですが、私の体の状況から再就職には無理がありました。でも私は当初から在宅での仕事をすると言う考えが有りましたので、それなりに明るい希望を持って卒業したのです。しかし、この考えは甘かったことはすぐに気が付きました。あらゆるつてや情報を探しても、在宅での仕事は皆無でした。

 そんな時、持て余した時間でホームページを公開しようと考えさせたのです。以前にもホームページを立ち上げた事はあるのですが、継続する事が出来ずに立ち消えた経験があったのです。そこで私は継続する為に三つの誓いをしたのです。

一つ目は、自分が障害者である事を隠すことなく公開すること。(以前はバーチャル世界の住人だった)
二つ目は、毎日更新すること。(毎日訪問してもらいたくて・・・。)
三つ目は、最低でも一年は継続すること。だったのです。(三日坊主の自分からの脱却)

 それが今日で丸一年となり、『継続とは力なり』の言葉が胸に迫る思いがあります。でも心残りは毎日更新を誓っていた、エッセイが今年の3月14日で途切れてしまったことです。(でも弁解するようですが、エッセイは途切れましたが、「誕生日」や「一押し」のコーナーは、それを補うように継続してきました)

 しかも、エッセイが途切れた理由は、それまで書いてきたエッセイを一冊の本にして出版しないかと言う話が持ち上がって、それに全精力をつぎ込むことになったからです。私とってこの話は、まるで夢のような出来事でしたが、とんとん拍子に話が進み、遂に6月の中旬に全国の書店に並ぶことになったのです。

 そんな訳で、ここに来てようやく時間的にも余裕も出来て来たので、六月より再びエッセイを書こうと思っていたのですが、どういう訳か腑抜け状態になって、文章が浮かんでこないのです。その理由は自分なりにわかっているのです。それは今回自分のエッセイを出版するに当たって、何度も何度も校正したからだと思うのです。
 実は、自分では良かれと思って書いた文章も、何度も読み直してみると、実に沢山の間違いを見つけたり、修正が必要だったりするのです。誤字脱字はもちろん、文法間違いや表現方法の間違いなど、自分の無知を思い知らされたのです。その後遺症なのかエッセイを書くことに多少の抵抗が出てきた感じなのです。

 今はこんな状況の私ですが、これからはエッセイを書き始めた頃に戻って「思ったことを、思った通り書く」と言うあの下宿屋おばさんの言葉を思いだしてやっていこうと思います。

 たとえ、それが後で読み直して恥ずかしいと思っても・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-06-06 07:27

ドーム球場観戦記

 先日、札幌ドームで行われた日本ハムファイターズ対阪神タイガースの交流試合を妻と二人で見に行って来たので、そのドタバタ観戦記をお披露目します。

 我々夫婦はいつもの「突然の思いつき」で野球観戦に行く事になったのです。
 突然の思いつきの為にドーム内の僅かしかない駐車場の予約券は取れなかったのです。駐車料金は2500円もするのでそれも驚きであるが、妻が「安かったら誰でも駐車したがるから適正じゃない」と言う。私は妻の正しいと思われる言葉に「なるほど」と感心した。

 そこで止む得ず、申し訳ないが近くの大型ショッピングセンターに無料で車を止めさせて頂き、そこからタクシーでドーム球場まで向かったのである。行く途中には今まで見たことのない位の人の波が球場に向かっているのを見て、ドームの大きさに改めて感心したのである。

 私達は入場券も持たずに訪れたので、チケットの購入から並ばなければいけなかった。入場券にもランクがあり、上は4500円から1500円まであった。私たちは当初から決めていた外野席の1500円のチケットを購入して入場口に向かった。
 そこでは今度は手荷物のチェックが行われていてこれも順番待ちであった。妻はペットボトルのお茶を持参していたのだが、持ち込めないとのことで、そこで紙コップに入れ替えなければならないと言うのだ。(めんどくセー!)
 私の荷物も当然チェックされた。担当の女の子が「このカートには何が入っているんですか?」と聞くので、「救命装置!」とぶっきらぼうに答えると、「えっ!」と言うので、「酸素ボンベだよ」というと、解ったのかどうか解らないけれど、中身も確認せず「どうぞ」と入れてくれた。爆弾だったらどうするんだ?(笑)

 外野席は満員に近い盛況振りである。試合はまだ始まってはいないのですが、選手紹介が始まると、一気にボルテージは上がっていった。
しかし、レフト側のファイターズ側に対して、ライト側のタイガーズファンの応援席の盛り上がりは言葉に言い尽くせない熱気があった。ハッキリ言って応援では完全にタイガースに軍配が上がったと思うのです。
とにかく「凄い」の言葉以外に形容する言葉が見つからないのである。一糸乱れぬ統一した応援内容。選手一人一人に盛大な応援を行うのである。そして阪神の攻撃の回は全員総立ちで応援を行い、応援のリーダーたちは試合そのものを一切見ていないのである。

 そんな応援合戦だったので案の定、遠路はるばる酸素ボンベを引きずって応援に来たのに、日ハムは負けてしまったのである。
でも前日まで怪我で出場が危ぶまれていた、新庄選手が元気な姿で出場してくれたのには感動でした。そして初回、クリーンヒットを打って、守備ではヒット性の当たりをファインプレーで切り抜けてくれたことに、見に来て良かったなと、一人感動しておりました。

 試合終了後、私たちはドームから出てタクシー乗り場に向かったのですが、その人数が凄いのです。電車乗り場まで、徒歩で10分程度なんですが、北海道の人間は歩くのが嫌いな人種が多くて、タクシー乗り場長蛇の列を作っていました。

 この日の入場者数が約3万1千人だったと言います。この人たち(自分も含めて)の入場券と球団グッズの売上げ、更にお弁当やビールジュースの売上げなどのほか、入場者の足となる、電車やタクシーの売上げなどを含むと約1億以上のお金が動いたことになるのではないでしょうか?
 でも同じお金の使い方であっても、この様な地元へ還元する使い方はとても良い事だとおもうのです。更にこれを繰り返すことが、地域活性へと繋がるのだと思うのです。

 今年のゴールデンウィークは海外に渡航した人が80万人居たそうです。一人10万円使ったとしても、800億円も海外に流出した事になります。この800億円を日本の中で使うことにより、どれだけ社会が潤うことが出来るかもう一度考え直すことが必要だと私は思うのです。

 お金は貯めてばかりいては社会が動きませんが、でも折角貯めたお金を、海外で使ってしまう人に、不景気だと嘆く資格が有りません。どうせ使うのなら国内で消費して下さい。そうする事で、皆さんにも還元されるのですから・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-06-05 07:56

もうすぐ、「父の日」ですね。

 6月の第三日曜日は「父の日」である。
 アサヒビールではこの父の日にちなみ、理想の父親像についてのアンケートの結果を発表しました。そこには私のような古い人間にあまり理解の出来ない父親像が有りました。そこで皆さんにも紹介しようと思います。

 最近では、昔のような頑固一徹の恐いお父さんが減り、お子さんとまるで友達関係のような優しいお父さんが増えているとも言われますが、果たして皆さんが求める理想的なお父さんとは一体どんなタイプなのでしょうか。

 まず最初に「お父さんと一緒にしたいことランキング」を性別で見てみてみますと、男性の第一位は「旅行・温泉に行きたい」(47.6%)でした。理由はいつも仕事で忙しいお父さんを気遣い、ゆっくり旅行でもして溜まった疲れを十分に癒せる旅行や温泉へ家族とともに出掛けたいという回答が多数寄せられとそうです。2位は「お酒を飲みに行きたい」で、酒の席で人生の先輩として「父親」に悩みや相談に乗って欲しいという声が目立ったそうです。

 女性の第一位は男性同様に「旅行・温泉に行きたい」でしたが、2位には男性の「お酒」に代わって「美味しいものを食べに行きたい」が挙げられました。「族団らんの夕食の光景が珍しくなりつつある今日、せめてお父さんの休みぐらいは家族揃って外食したいという奥さんや娘さんからのリクエストが寄せられました。

 それでは「理想の父親」を著名人で例えると、誰だと思いますか?
第 1位は所ジョージさん(156票)
第 2位は中村雅俊さん(130票)
 好感度タレントの、両人ともに「家族想い」「子煩悩」として芸能界でも知られ、女性が求める理想像に近いタイプと言えそうです。

第 3位の星野仙一さん(98票)、
第 4位の加山雄三さん(94票)
 この二人は「仕事が出来る」「威厳」といったイメージが強く、男性が求める父親像そのものと言えるかも知れません。

第 5位=高橋英樹さん(70票)、
第 6位=高倉健さん(59票)、
第 7位=緒形拳さん(50票)
第 8位=石原慎太郎さん(47票)
第 8位=長塚京三さん(47票)
第10位=田村正和さん(46票)
 の順序となっています。いずれしてもドラマや映画の中のイメージが
そのまま本人のイメージとなって受け止められているような感じですね。

 最後に、「父親の理想像」を踏まえ、実際のお父さんと照らし合わせて点数を付けて頂いたところ、次の様な結果となりました。
 平均点は「70.7点」、50点以上と採点した方は9割に達し、最も回答が多かったのが「80~89点」で全体の22.8%でした。「旦那様は子供と一緒によく遊んでくれるし、私の事も気遣ってくれる優しいお父さん。ただ一つ問題なのがだらしない事。脱いだ服や使ったタオルやゴミ等、そこら辺にポイ!そこが減点」、「子煩悩でお人好しな愛すべき父ですが、頑固で時々短気になるのでマイナス15点」など、あともう一歩頑張ってもらえれば満点という家族からの声が数多く寄せられ、優等生なお父さんが案外多いことが分かりました。

 昔から「親の背中を見て子は育つ」と言われます。親の行動を見て子供は家族の愛を学び、そして社会のルールや仕事に対する姿勢から学ぶと共に、父の大きな背中に安堵感と包容力を感じとっているのではないでしょうか。
 ですから、ぜひ今年の「父の日」は、家族のために毎日働いているお父さんにねぎらいと感謝をあらわす日として、ぜひ家族でお祝いをしてみてはいかがでしょうか。

 どんなプレゼントよりも、家族からの暖かいねぎらいの言葉の方を、お父さんは待っているはずですよ。
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# by akiko_550722 | 2005-06-04 17:13

友人は工学博士 パート2

以前に、友人である工学博士の斉藤君の話を書いたことがありますが、今日は彼との出会いと、その頃の入院生活を思い出してみようと思います。

 彼との出会いは、私にとって衝撃的な出会いであった。それは私が側湾症で手術を受ける為に入院した、ある大学病院の整形外科病棟で、彼は隣の部屋の住人であったことから始まったのです。
 看護婦さんから、通例通りの入院時の説明などの話や、その他の入院手続きも終わり、付き添って来た家族も帰っていったので、私は一人でベッドの上でこれからの入院生活や手術の事を、ボンヤリ考えていたのです。
 
 するといきなり彼が私の部屋に乱入してきて「あんたも側湾症の手術を受けるのかい?」と言って来たのです。私はあっけに取られて、思わず「はい」と答えていたのです。このいきなりの問いかけが、その後25年間以上もの交際が続く(恋愛では有りませんよ、念のため!)きっかけになるとは思いもしなかった私でした。でもそんなざっくばらんな彼の性格がとても気に入って、その後は常に一緒に行動することが多くなっていったのでした。

 彼は、私以上に障害が重く、右手と両足が完全にマヒしている状態で、「左手一本」で全てを行っていたのです。しかも当時の彼は、北海道大学の大学院・工学部に在籍中のバリバリの大学生で有ったのです。話によると彼が入学が決まった時は、学校の校舎自体がとても障害者を受け入れることなど出来る状況ではなかったと言うのです。しかし学校側は彼の入学を機に、エレベーターやスロープなど、いたるところを障害者仕様に改築したそうである。ですから彼は障害者の進学に多大な功績を残した人間である事を知ったのである。そんな重い障害を持っている彼の、私から見ると異常なくらい明るいところがとても気に入ったのです。

 さて、また入院していた病棟の話に戻りますが、大学病院の整形外科病棟と言えば、ほとんどの入院患者はサイボーグ一歩手前の患者ばかりである。手や足に金属を埋め込んでいる等は当たり前で、中には体のあっちこっちから金属棒が飛び出した患者や、頭に天使の輪のような、金属のリングをボルトで固定されている患者までいるのです。
 ちょっと大人しい患者だと思っていたら、全身ギブスで身動きできない人間だったなど笑うに笑えない状況もあったのです。

 それらの中で、入院して一番ショックだったのが、先ほど出てきた、天使の輪のような金属のリングが、自分の頭にも取付けられると聞いた時であった。ただ幸いにも私の頭に取り付けられる2週間前に、斉藤君が取付けたので、彼から取り付け時の詳細な情報を得ることが出来たので、多少不安はやわらいだ感じがしていた。

 そしてついに私もリングを取り付ける日が訪れたのです。
目の前に持ち込まれたその金具は、頭より二周りくらい大きなリング(輪)であった。そのリングを側頭部に、4本のボルトを打ち込んで頭蓋骨に固定すると言うのである。当然、局部麻酔はするので痛みはあまり感じなかったように思うが、二人のドクターが対角線上のボルトを、ドライバー(ネジ回し)で締め付けて行くと「ミシッ!、ミシッ!」と骨がきしむ音が直接骨を通して聞こえて来て、痛みよりも恐怖が上回っていました。取り付けているあいだ中、私はおしっこがちびそうな感覚を必死に堪えていたのです。この状況を無事に乗り切ることが出来たのは、若くて綺麗な看護婦さんが、私の手を握って、「頑張ってね」と優しく声を掛けこんな続けてくれていたからです。(どんな状況になっても、この様な対応をして頂ければ、いくらでも我慢出来る私でした)

 約一時間くらいの小手術が終わり、やっと自由放免となったのですが、それから暫くあいだ、そのリングを着けた頭のサイズに慣れるまでが大変だったのです。
 その理由は、人間って自分の頭の大きさを感覚的に憶えていて、ドアから顔を出そうとした時など、頭の分しかドアを開けないものなんですね。だからドアや柱にそのリングのボルトがいつもぶつかってしまうのです。その時の衝撃といったら、ハンマーで頭を「ガーン!」と殴られたかのように感じていました。又、寝ている時に寝返りをすると、枕やシーツにボルトが引っ掛かってしまい、頭だけが動かない状況で、まるで首吊りをしているような苦しさで、目が覚めてしまうことがしょっちゅうでした。

 そしてボルトが馴染んできた頃に、そのリングにフックを取り付けて、尚且つベッドでおもりをつけて、曲がっている背骨を牽引するのです。
 私の場合は寝たっきりではなかったので、車椅子の背中からL型の金具を取り付けて、そこにワイヤーでこのリングを引っ掛けて、ぶら下がる方法で牽引してました。これは結構きつかったですよ。なんせワイヤーで頭を吊られていて、腰が浮いた状態で車椅子の乗っていたのですから・・・。
 こんな状況下において、看護婦さんの押す車椅子で病院の周りを散歩をすることが有ったのです。すると、やはり頭についている金属の輪が目立ったようで、中には「あの人、頭が悪いのね」なんて囁くアベック等がいて、私も思わず笑ってしまった事が有りました。そんなことにも懲りずに、その格好で手術寸前まで、斉藤君と一緒に大学病院の隅々まで「観光」、違った「見学」して回ったものでした。

 ところで、お互いの部屋が個室だったこともあって、私たちは消灯時間が過ぎたあとでも、良く一緒に悪さをしていた記憶があります。
 ある時に、私の姉がお見舞いに「毛ガニ」を買って来てくれたことがあったのです。そこで「よし、消灯過ぎたら一人でゆっくり味わって食べよう」と思い冷蔵庫に入れて保管していたのです。そして10時近くになっておもむろに食べ始めたら、猟犬のような鼻を持った斉藤君は、突然ノックもなしに入ってきたのです。(恐るべし、その嗅覚!)
 「み・た・な!」等と冗談を言いながら仕方ないので、一匹の毛ガニを半分ずつ食べる事になったのですが、それはそれで美味しかったし、楽しかった思い出となりました。

 お互い手術までの間、たくさんの問題も発生しましたが、その話は、また後日と言うことで今日はこの辺で・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-06-02 06:45

人間として恥を知れ!

 以前からお話しているように、私はテレビ大好き人間である。そこで今日もテレビの話題から・・・。

 昨日のある番組をみて驚きと感動を受けたのですが、それとは反対にある事件を思い出して、口惜しさと悲しみが込み上げてきたのです。

 そのテレビ番組とは『アンビリバボー』だったのです
その感動した内容はある一匹の猫の話である。1996年にニューヨーク州ポートワシントンの誰も住んでいない空家で火災が発生しました。
 消火に当たった消防士が、その現場で一匹の子ネコを見つけたのです。なぜこんなところにと思いながらも、子猫を安全な場所に避難させたのです。
 ところが現場に戻ると、同じ場所にまたしても一匹の子ネコが現れたのです。不審に思った消防士が、燃え盛る空家を見ると、炎の中から子ネコを加えて出てきた母親ネコの姿を見つけたのです。
 
 その母親ネコは、子猫を安全な場所に置くと、再び燃え盛る空家に向かって歩き出したのです。そこは消防士も躊躇するほど炎が噴き出している場所に、母親ネコは迷うことなく入っていったと言うのです。
 そして数分後、母親ネコはまたしても子ネコをくわえて出てきたのです。母親ネコは大火傷を負って、体を真っ黒に焦がしながらも、何度も炎の中に向かっていき、ついに5匹の子ネコを助け出したのです。

 ネコたちはすぐに病院に運び込まれたのですが、母親ネコは顔、足の裏、耳に重度の火傷を負っており、更に熱い煙を吸った為に呼吸も出来ない非常に危険な状態だったのです。
 しかし病院の懸命の看病の結果、全身を大火傷で覆われながらも一命を取り留めたのです。

 事故から一週間、母親ネコは怪我の回復と共にようやく子ネコたちと再会を果たす時が来たのです。母親ネコは自分で立ち上がることが辛うじて出来る状態であるにも関わらず、5匹の子ネコの姿を見ると、愛おしそうに一匹ずつ舐めていったのです。私はその姿に本当の親子の愛を見て、思わず感動の涙を流していました。

 それに引き合え、先日起きた児童虐待の事件の犯人の両親がやったことは「鬼畜の仕業」と言わざるを得ない内容だと思うのです。
 わずか五歳の女の子を両親そろって、殴るけるの暴行を繰り返し、頭や両方の腕、両方の足の骨を折ると言う、信じられないほどの大怪我を負わせて、病院にも連れて行っていないと言うのです。その行為は犬畜生にも劣る行為だと思うのです。このかわいそうな女の子は、現在大阪市内の施設に保護されていますが、頭部骨折の影響で視力がほとんどないと言うのです。

 私はこのニュースを見たときは、こんなことをする親がいるなんて信じられないし、許せないと思いました。しかし、昨日のこの猫の話題を知って思ったことは、こんなことをした動物(両親)が自分と同じ人間だと言うことがとても恥ずかしいと感じたのです。
 なぜ猫でさえ自分に身を考えず、我が子を愛することが出来るのに、人として生まれて来たこの実の親が、自分の娘になぜこれほど酷い仕打ちが出来るのだろうか?と考えだけで涙が出てしまいます。この女の子に怪我の後遺症が残らないように祈るばかりであると共に、関係者には精神的なケアを十二分に行なうことをお願いしたい。

 本当に、この両親にこの母親ネコの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたい気分である。

 余談になりますが、この勇敢な母親ネコは映画の「風と共に去りぬ」に出てくる勇気あるヒロインにちなんでスカーレット言う名前がつけられて、ニューヨークに住むウォレンさんを引き取られ、大切にされて暮らしていると言う。また、子ネコたちもそれぞれの里親のもとで幸せに生活しているという話です。
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# by akiko_550722 | 2005-05-27 07:45

額縁の人生訓。

 今日、用事で街までお使いに行って来ました。お使いと言って用件は自分のことだから、当たり前の事ですけどね。
 そのついでに、暫く合っていない愛人(嘘ですよ、うそ!)に会いに行って来ました。実は会いに行った場所は、彼女の勤める会社の事務所だったのです。日中は彼女一人しかいないので割りと気楽に話が出来るのです。

 そして昔から家族同士の付き合いですので、お互いの近況報告から昔の思いで話しを笑いながら話していると、あっという間に一時間が過ぎていました。

 私は帰ろうと思って席から立とうとした時です。ヒョッと目に入ってきたのが、壁に掲げていた一枚の額縁でした。その額縁には題名が「人の道」と書かれた人生訓が書かれていたのです。
こんな額縁、良く見かけるなと思いながら何気なく読んでみると、何故か心が洗われる様な気がしたのです。
 「なかなか良い事、書いてあるね」と言うと、「社長が好きで飾ってある」というのです。なるほどこの額に書いてある内容通りの社長であれば、素晴らしい社長だなと思いましたが、そこまで聞く訳にも行かず、暫くの間何度も読み直していました。

 そこで私はおもむろにメモ帳を取り出して、書き写して来たのです。自分ながらこんな人生訓が気になって来たと言うことは、それなりに年を取ったのかなあと改めて感じた次第です。

最後にこの人生訓をご披露したいと思います。

 《人の道》

 忘れてならぬものは恩義
 捨ててならぬものは義理
 人に与えるものは人情
 繰返してはならぬものは過失
 通してならぬものは我意
 笑ってならぬものは人の失敗
 聞いてならぬものは人の秘密
 お金で買えぬものは信用

 これを読んで、若いときからこれらのことが出来ていれば、私ももっと別な人生を歩むことが出来たのではと思ったら、何故か「あとの後悔、先に立たず」と言う言葉が私の脳裏を横切っていったのです。空しい!
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# by akiko_550722 | 2005-05-26 17:36

文章の書き方?

 先週、念願だったエッセイ集の最終校正がやっと終わりました。これで私の本が出版されて書店に並ぶまではあと数日となったわけである。喜ばしい限りである。

 ところで、今回本を出版するに当たって、文章の書き方について、色々なことを学びました。そんな中でこれからエッセイなどを書きたいとおっしゃる皆さんの為に、私が知らなかったことや注意点をお教えしたいと思います。(皆さんは知っているかもしれませんが・・・笑)

 それはむやみに漢字変換を多用しないと言うことらしいのです。実は私、このことには少し驚きました。だって、最近はパソコンやワープロの普及で、今まで漢字が苦手で、なおかつ文書を書くことが苦手だった人も、文書を「ひらがな」で打ち込んで行くと、機械が勝手に漢字変換をしてくれる為に、出来上がった文章を見てみると、ふだんは書くこともない難しい漢字が文章のいたるところにあって、自分自身がえらくなった(頭がよくなった?)ような気がしていたからです。 
 皆さんはいかがですか?

 確かに私のエッセイは、最初のころを読み返してみると、随分難しい漢字をたくさん使って書いていました。ふだん手書きでは絶対に書かないような漢字なども、沢山書かれており自分でも驚いています。

 たしかに漢字と言うものは、一目見て多くの概念を伝えることが出来る有効な文字ですが、文中にあまり漢字が多いと、かなりの圧迫感があります。そのために最近では、新聞や雑誌などでは長年の実践の中で、記載方法を整理してきているそうです。
ですから、これもひらがなで書くの?と思うような漢字までがひらがな表示する様になっています。

 例えば、代名詞といわれる、「われ(我)」、「われわれ(我々)」、「あなた(貴方)」、「だれ(誰)」、は、ひらがなで表示して、漢字でよいとされているものは、「私」、「君」、「彼」、「彼女」、「自分」、「何」などであると言う。

 また、接続詞では、「あるいは(或いは)」、「かつ(且つ)」、「しかし(然し)」、「ただし(但し)」、「なお(尚)」、「ならびに(並びに)」、「また(又)」、「および(及び)」はひらがな表示が望ましいとされている。

 更に驚いたのが形式名詞である、「こと(事)」、「とき(時)」、「ところ(所)」、「うち(内)」、「もの(者・物)」、「わけ(訳)」、「ため(為)」などもひらがなで表示し、副詞では、「あらかじめ(予め)」、「いつか(何時か)」、「おおむね(概ね)」、「さらに(更に)」、「すでに(既に)」、「ぜひ(是非)」、「ちょうど(丁度)」、「どこか(何処か)」、「なぜ(何故)」、「なるほど(成る程)」、「ほとんど(殆ど)」、「ますます(益々)」なども、使わないそうである。

 ですから
 「貴方は彼女と結婚する事を何故か反対されて、二人は益々胸の内が燃え上がると思います。でも、残念ながら我々は、何時かきっと別れる時が来ると思っています」と言う文章は、
 「あなたは彼女と結婚することをなぜか反対されて、二人はますます胸のうちが燃えあがると思います。でも、残念ながらわれわれは、いつかきっと別れるときがくると思っています」と書くのが正しいそうです。

 確かにこうして対比してみると、明らかに読みやすいような気がします。でも私のパソコンは、馬鹿なのか利口なのか、むやみやたらに漢字変換するので困っています。でも今後はこのことを気をつけて、エッセイを書いていこうと思っています。

 なんでも人に言われると、そんな気がする私ですから・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-05-24 18:16

「風太」の影響?

 千葉市動物公園の2本足で直立するレッサーパンダ「風太」が話題になっているが、その「風太」の祖父に当たるレッサーパンダが広島市の市安佐動物公園において、同じように立ち姿を披露し、人気を集めていると言う。

 このレッサーパンダは風太の母方の祖父にあたる9歳の「ロンロン」である。孫の「風太」は10秒以上も立っていられるが、このロンロンは幼いころから長くて5秒程度だと言う。 また静岡市の日本平動物園にいる「風太」の母も、やはり5秒ほど立つが、担当者は「子どもの「風太」ほど凛々しく立てない」と言う。それでも「親族」のレッサーパンダがいると知った見物客が押し寄せており、「風太」フィーバーは各地に広がっているらしい。

 この現象は、この手のニュースには極端に反応しやすい日本人独特なものではないでしょうか? そう考えると、日本人って本当に単純な人種だと思いますね。
 「カルガモの引越し」もそうだったし、「アカンベー」をするゾウアザラシの時も、「タマちゃん」の時もそうだった。 さらに先日死亡したクジラの時も同じ反応を示していた。数え上げたらキリがないのである。

 でも、私はこんなことばかりを話題にしていると、今にとんでもない事件が起こるのではないかと心配してしまいます。たとえば、話題欲しさにわざと野生動物を近郊の川や野原に放すとか、動物園内では通常ありえない行動をするように、特定の動物の調教をする等の、異常行動が横行するのではないでしょうか。

 北海道の旭山動物園が脚光を浴びています。いまや上野動物園を上回る見物客が訪れていると言います。動物園側の努力や情熱が再三マスコミで報道され話題になっているので人気が有るのは十分解ります。

 しかし、本当に単純に動物を見たくてこの動物園に訪れる見物客は何パーセントいるんだろうか?と私は思います。なぜならば、見物客の人たちの本心は「話題になっている動物園だから行く」と言う人が大半であるからです。でも、結果として集客できればそれで良しといったところでしょうか。

 でも、本来、自然の動物の姿を知りたくて行く動物園において、自然ではない行動に人気が集まるこの不可思議な現象は、今後増え続けていくのだろうか。
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# by akiko_550722 | 2005-05-23 07:20

「世界がもし100人の村だったら」を見て

 先日、「世界がもし100人の村だったら」と言うテレビ番組をみました。
私はこの番組を今の日本中の子供達に見せたいと思いました。いかに自分たちは幸せであるかと言うことを、番組の中に出てくる子供達の悲惨な生活をしっかり見せて理解させないといけないと思うのです。

 私は次々と出てくる子供達の境遇に、涙なくしては見る事が出来ない状況でした。
 同じようにこの世に生まれて来たにも拘らず、どうしてこのような不平等が生じるのだろうと考えさせられる内容でした。

 乱暴な意見かもしれませんが、最近日本で発生している監禁事件の犯人などを、あの環境に放り込んで生きていくことの難しさを教えてあげたいと心より思いました。
 私たちは本当の幸せに気づかずに、何かと不満を漏らすことが多いのですが、世の中にはあの様な人生を送らなければならない子供達がいる事を決して忘れてはいけないと思うのです。

 話を戻しますが、、「世界がもし100人の村だったら」と言う話は、世界には今現在63億人の人がいます。もしもそれを100人の村に縮めるとどうなるかと言うことです。
 すると、52人が女性で、48人が男性だといいます。また、世界がもし100人の村だったら、その中の2人が日本人だそうです。

 もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるかと言うことを、アメリカのある中学校の担任の先生が、毎日、 自分が今まで教えた生徒に学級通信と言う形で、メールを流したものらしいのです。
 我が家の書棚にもその本が有りました。改めて読み直してみると、イラク問題や北朝鮮問題で、いきり立っている我々はなんて心の狭い人間なんだろうと思いました。今日はその感動した内容をあなたにお届けします。

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その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です
70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・・あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。
もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。
もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%の内の一人です。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。
もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思って,これを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

                                  <池田香代子訳 引用>

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 今の生活が、いかにありがたいか改めて感じ取りましょう。
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# by akiko_550722 | 2005-05-21 18:55

脱線事故の被害者と残された家族

 JR西日本の脱線事故で亡くなられた遺族の元へ、JR西日本の社長が弔問に廻っている映像が連日のように映し出されています。企業のトップとして当然ではありますが、第三者からみると辛い仕事で大変だなあと思います。(当然。遺族の方が大変なのはわかっています)
 
 実は先日、この事故のニュースを通じて非常に感動させられた映像を見させていただきました。それはある被害者の葬儀の取材の中で遺族のインタビューで聞かれた言葉でした。

 当然の事だとは思いますが、それまでの遺族は、弔問に訪れたJR西日本の社長に対して、声を限りに罵倒する家族がほとんどでした。「死んだ息子(娘)を返してくれ」「JRに殺された」「利益追求の方針が起こした事故だ」「人命を預かっているのに荷物でも運ぶような感覚」「従業員の管理がなっていない」eat。

 そんな中で、ある家族が映像の中で答えてくれたコメントを聞いたとき、私は今まで違った熱い涙が溢れるのを抑えることが出来ませんでした。
 そのご家族は両親と妹の4人家族だったそうです。被害に遭われたのは31歳の息子さんでした。この息子さんはアメリカ留学までした優秀な学生だったのですが、突然難病(記憶がなくなる)に襲われ再起が危ぶまれたのです。しかし、奇跡的に回復して再度勉学に励んでいたそうです。そんな喜びもつかの間で、突然他界したと言うことで、家族は再び絶望の淵に立たされたのです。
 映像には最後まで棺に抱きついて離れようとはしない妹さんの姿や、病院から戻された事故当時着ていたボロボロになった衣類を涙ながらに確認している母親の姿に思わず同情の涙が溢れました。

 しかし、私の涙はその後のインタビューに思わず同情の涙ではなく、感動の涙に変わっていったのです。
 それはお母さんに対して、取材記者が「運転手についてどう思うか」と言う質問をしたところ「気の毒だと思いますよ。多分遅れを取り戻そうとして何がなんだか判らなくなったんだと思うんですよ・・・。 23才と言う若さだから、きっと気が動転してしまったんでしょうね。かわいそうに・・・」と言ったのです。
 更に妹さんも「運転手さんにも家族があって、その家族が私たち同じ悲しみや苦しみを味わっているんですから、運転手さんを責める気持ちは有りません」と言うのです。

 私はこの家族の心の偉大さに胸が打たれました。ほとんどの遺族が、この突然襲った運命を呪い、気持ちのはけ口をJR関係者に向けている最中に、この家族は亡くなった事実だけを冷静に受けているが、その引き金になったことには触れていないのです。この寛大さに私は感動してしまいました。

 そういえば、事故から二日目くらいに救出に時間が掛かっていることに、家族から不満が出始めた頃、被害者の家族と思われる、一人の初老の男性がインタニューに答えて、こう言っていたことを思い出しました。「事故の現場で働いている人たちは一生懸命やってくれています。JRの方々もほとんど休まず頑張ってくれています。この事故は誰が悪いとか言う問題ではない。社会全体のゆがみが現れ来ているんだ。だから誰も責めてはいけない」と話していたのを聞いて私はもっともだと思っていたのです。

 当の被害者でも遺族でもないので、こんな意見を唱えて良いのかと思いますが、全ての人が先ほどのご家族と同様な考え方を持つことが出来たら、この世の中に争いごとは無くなるではないかとと本気で思いました。

 それにしても多くの犠牲者を出したこの事故を二度と起こさないように、全ての輸送機関にお願いしたいと思いますし、今回犠牲になった皆様のご冥福をお祈りいたします。 合掌
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# by akiko_550722 | 2005-05-04 09:53

コラムに書いてあった母の味・・・。

 今朝、新聞を見ていたら、小さなコラム欄にちょっと感動するような記事が載っていたので紹介したい。

 書き出しは、ある著名人の講演を聞いた話からから始まっていて、そこでこんなエピソードが披露されたそうだ。
 仲間うちで、どこのカレーライスが美味しいかと言う話題になったそうだ。「やっぱり○○のカレーだな」、「いや、昔からある△△のカレーだよ」「でも、最近はスープカレーだよ」などと旨さ自慢をいていたそうだ。ところがそのやり取りを聞いていた一人が、こう言ったのです。「俺はお袋の作ってくれたカレーが一番だよ」と、六十過ぎの男が少し涙ぐんでポツリと話したそうです。彼は「味はもちろんお店のカレーよりまずいに決まっている。でも『おふくろのカレー』という存在そのものが美味しいんだよ」と・・・。

 尼崎の列車事故の日、母親の帰りを待ちわびる小学2年生の男の子がいました。翌日は待望の遠足の日だったので、母が作ってくれるお弁当を楽しみにしていました、
でも母親は帰ってはこなかったのです。この子は翌朝、母親の死を知らされずに遠足に参加しました。お弁当は一緒に暮らしている祖母が作ったらしい。それはそれで美味しかっただろう思うのです。でも子供は幾つになっても母の料理の味を覚えているものです。でもこの男の子はもう二度と母親の料理を口にする事が出来ないのです。

 明日から大型連休で最終日の5月8日は「母の日」に当たります。プレゼントを贈りたくて贈れない子供がいることを、心のどこかにとどめておきたいと著者は締めくくっていました。(北海道新聞“卓上四季”より一部抜粋)

 私もこのエッセイの欄に、よく母のことを話題を取り上げています。この様なコラムを読むと、目頭が熱くなるのは、歳のせいばかりではないような気がします。

 私もカレーには思い出があります。それは肉が食べられない母が作ってくれた「ホッキ貝のカレー」である。肉の入ったカレーとは一味違った母の味であった。

 そんな母に一度だけ「母の日」のプレゼントを贈ったことがある。それは小学校の4年生の頃である。 
プレゼントは何が良いか子供心に随分悩んだものである。 
母は当時、着物を来ていることが多かったので、本当は帯止めなどの装飾品を買いたかったが、私の財布の中身とどう相談しても無理な話であった。
そこで買える品物として選んだのが足袋であった。持っている金額で買えるものをえらんだので、寸法なども考えていなかった。だから実際に履けたかどうかでもわからなかった。そんなプレゼントでも母はとても喜んでくれた。
 
 そんな母も、私が22歳の時に亡くなったが、先ほどの小学2年生の男の子に比べると、母との交流時間が長かっただけ、幸せだったと思うのです。だってそれだけ多くの間、母の手料理を味会うことが出来たのだから・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-04-28 12:58

「ボク」が「ボク」でなくなるとき!

 私は子供の頃から兄弟の中では、「ボク(僕)」と呼ばれていた。
 これは多分、幼い頃から、自分のことを何かと「ボクは……」、「ボクも……」と言っていたので、いつの間にかみんなから「ボク」と呼ばれるようになったみたいである。

 しかし、この呼び方に対して特別不満はなかったが、一つ気になることがあった。それは二つ年下の妹も他の兄弟と同じように、私のことを「ボク」と呼んでいたのです。その当時はあまり気にもしなかったのですが、ある程度の年齢になった頃に、友達に「兄なのに、どうして「ボク」と呼んでいるんだ?」といわれて、初めて気が付いたのだ。確かに私は兄である。特別「お兄ちゃん」と呼んでほしいとは思わないが、せめて「ボク」は止めてほしいと思ったことが有ったのは確かである。

 しかし、全てのことを妹に助けられていたころだった。そんな“おんぶにだっこ”の状態であったので、そんな呼ばれ方も止むえないかと一人納得していたのです。

 この「ボク」と言う呼び方が良いとか、悪いとかは言うつもりはサラサラないが、この呼び方もで呼ばれることは、ある程度の年齢までは良かったのですが・・・。
 それは、お互いに結婚して間もなく孫が出来る様な年齢になった今現在も、私のことを「ボク」と呼び、呼ばれるのは少し抵抗があることも確かです。

 更に、兄や姉たちの子供、つまり、私の甥っ子や姪っ子たちまでが、私のことを昔から「ボクおじさん」と呼んでいたのです。しかし最近は、もはや四十歳にもなろうとする姪っ子や甥っ子たちは、ごく自然のように「ボクおじさん」からいつの間にか「ボク」と呼び方が変わって来ていたのです。

 つまり私の兄弟の家族一家全員が私のことを「ボク」と呼ぶようになって来たのです。
ある日の会話を思い出すと不思議な気がするのです。
私「○○(甥っ子の名前)、元気だったか?」
甥っ子「ボクも元気だったか?」
これではどちらが叔父さんで、どちらが甥っ子か解らなくなって来ているです。

 こんな私(ボク)も、今年で五十六歳にもなり、髪も白髪で真っ白になって来ました。世間から見たらどう考えても「ボク」では通らない状況になって来たと思うのです。
 だから、せめて「ボク」ではなく、妻や娘が呼ぶように「○○君」と名前で呼ばれたいと思う今日この頃なんです。
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# by akiko_550722 | 2005-04-23 11:03

『なんこ鍋』について

 今日は、以前にこのエッセイの中で、『母の料理の思い出』という題で書いた内容に間違いがあった事が解りました。そこで今回、改めてその訂正とお詫びを申し上げようと思います。

 実はこの『母の料理の思い出』と言うエッセイの中で『なんこ鍋』について記述しているんですが、私の勝手な思い込みで、「なんこ」とは「軟肛」のことではないかといい加減なことを書いてしまいました。しかし今朝の北海道新聞でこの『なんこ鍋』について詳細な説明が有りましたので、お詫び方々改めて皆様にお知らせしたいと思います。

 そもそも、『なんこ』の由来は秋田県の鉱山坑夫に伝わる食べ物だったと言われている。この『なんこ』とは秋田県地方の方言で「馬肉」のことを言うそうです。なぜそう呼ぶかと言うと、これは十二支でしめす「南」の方向が「午(馬)」に当たることから、馬のことを「南向」、これがつまって「なんこ」となって、その後、地元では馬の腸をさす言葉になったと言うことです。

 それでは何故歌志内市という場所だけにこの料理が残っているかと言うと、昔は北海道の採炭地における運搬作業は、おもに「馬」が使われていたそうです。そしてこの馬が怪我などして使えなくなると食用にされていたらしいのです。ですから昔は各地の炭鉱町で食べられていたそうですが、今の炭鉱街ではほとんど見かけなくなったそうです。じゃなぜ、今でもこの歌志内市ではこの風習が残っていてのかは、解らないそうである。

 しかし、今ではなつかしの味を求めて、沢山の観光客が訪れており、現在では市内のレストラン・居酒屋・スナックでもこの「馬の腸」を使った『なんこ』料理が沢山あるそうです。皆さんも是非一度ご試食下さい。私はとても美味しいと思いますよ
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# by akiko_550722 | 2005-04-15 09:09

年金と生活保護の関係?

  人間は生きていく為に必要なものが沢山有りますが、その中にお金と言うものがあります。
 このお金については再三、エッセイにも、書いていますが、とかくこの世は随分不公平になっているように思うことが随分あります。

 私の子供の頃は、銀行に三千万円の預金口座が有れば、元金を減らさず、利息だけで一生、生活出来ると聞かされていたような気がします。それで何とか頑張って働いて、三千万円を貯金したいものだと思ったものである。
 しかし、今はどうだろうか? 三千万円の貯金を持ったとしても利息は月に、たったの7500円前後の利息である。とても生活など出来ないから、あっという間に元金を食い込んでしまうのである。その元金も僅か8年で食いつぶしてしまう計算である。月に約25万円の生活費を利息だけで生活するには8億5千万円以上の預金が必要になると云う。一般庶民にそんなお金がいったいどこにあると言うんだ?と言った感じである。

 確かに金額価値が変わってきたことも事実ではある。
 私が初めて給与と云うものを貰ったときは、総額13,800円だったと記憶している。当時は会社の寮に入っていたので、寮経費を6,000円とその他の諸経費が控除され、手取りで5,000円程度だったと記憶している。しかし、その5,000円で床屋にも行って、友達と喫茶店なんかにもいけたし、部屋でお菓子なども買って食べる事も出来ました。貯金こそあまり出来ませんでしたが、それなりに生活が出来ていましたように記憶しています。

 しかし、それから30年以上働いて、最後の給与は、当時のおよそ30倍近くにもなっていたが、生活は30倍も良くなってはいないし、利息で生活できるほど貯金も残っていない。
 なぜこんな「ぼやき」を書いているかと言うと、先ほど見たテレビで実に面白い話を聞いてしまったからある。

 それは年金についての討論会で、ある人が「家計の苦しい中で月々1万3300円の年金を40年間も払っても、受け取る時はごく僅かの金額しか当たらないことを考えると、一生懸命掛けていく気力が無くなる。それより、年金を一切払わないで、年金を受け取らなきゃ生活が出来なくなったら、生活保護を受けたほうが良いのではないか? そのほうが受取る金額も高いんだから、そう考える人間が出てくるのも当たり前だ」と、恐ろしいことを話していたのである。けれど、これにはそれなりの正当性が感じられ、私もなるほどと感心してしまったのです。(良い悪いは別にしてですよ・・・)

 確かに収入がなくて預貯金もなければ、生活保護と言うありがたい制度が日本にはあります。しかし、この制度を悪用している輩が沢山いることは周知の事実である。でもこれら輩の為に、本当に生活に窮する人達が細かい規制を受けて受給することが出来ないでいることも、知っておくべきである。そこになおかつ、この様な年金不正受給者(?)が生活保護受給者となることに非常に不安を覚えるのです。

 でも、今後は更に年金の個人負担率も増加することは間違いない事実であるから、年金未払いの人が増える事も、往々にして想像される訳です。
 だからと言って、生活保護の窓口を狭くするのではなく、困窮者救済がキチット出来る、正しい“ふるい”をかけて欲しいと、今から思う私でした。
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# by akiko_550722 | 2005-04-13 22:03

季節柄ドライブ日和かな?

 私は、この四月から七月にかけての北海道の気候が大好きで、ドライブ日和が続くこともあって、何年か前までは、毎週のように妻と一緒によく出かけたものでした。

 良く行くコースは、函館方面かニセコ並びに小樽方面である。函館まで行くには距離があるので、たいてい長万部辺りで戻ってくる事が多いのですが・・・。
 そう言えばむかし長万部で面白い事があったので、その話を一つ。

 長万部と言うとカニ飯弁当が有名で、カニの専門店が沢山ある街なのですが、そんな中であるカニ専門店のオヤジさんで、とても面白い人がいたのです。
 それは沢山ある店の中からふらっと立ち寄った一軒のお店で起きた出来事である。
 『おにいさん、だまされたと思って食ってみな!なまら旨いから!』と言うおじさんの差し出す毛ガニの太い足の剥き身に、誘われるままかぶりついた私は、思わず『旨い!』と叫ぶと、『あったりまえだ!旨くないなんて言ったら、只でおかないところだ。』といって笑っているんです。

 そして『兄さん、酒好きかい?』と聞くので、『大好きだよ』と答えると、『そしたら、今うまい甲羅酒飲ましてやるから、一寸まってろよ』と言って、1~2分ほど経ったら奥から毛ガニの甲羅に日本酒を入れて火にあぶった、甲羅酒を持ってきたのです。私が、『旨そうで飲みたいけど、車を運転してきているからね』と断わると、『馬鹿だなあ、だから飲むんだよ。俺なんか酒を飲まないと怖くて運転出来ないんだから』と笑いながら言うんです。

 この勢いに押された訳ではないのですが、私は妻に運転を代わってもらうことで、その甲羅酒を飲んだのです。その美味さたるや、とても一口では言い表せないくらい美味しいお酒でした。 
そんな商売上手なおじさんに乗せられて、私は思わずちょっと大きめの毛ガニを4杯買ったのです。するとそのおじさんは更に2杯サービスしてくれたのです。喜んだ私たちは、さっそく近くの浜辺に出て行って、涼しい浜風を浴びながら、妻と二人で一人3杯ずつ、思い切り毛ガニを食べたのです。それは大満足のドライブとして今でも時々思い出す出来事でした。

 そして、ニセコ方面のコースは、私たちにとっては、もうマンネリになっていますが、日帰りコースには丁度良い距離なんです。方角的に支笏湖経由で行くので、景色を見ながらのドライブには最高のコースです。途中で必ず寄るのが、きのこの里で、ここの『きのこ汁』は100円と言う安さの割にはきのこがたっぷり入ったお味噌汁で、缶ジュースを買う思いをしたらお得な気分になる品物である。

 そして京極の名水を飲んで、羊蹄山を約一周するコースで小樽に向かうコースか、Uターンして戻ってくるかの二つのコースに分かれます。どちらにしても天気がよければ最高ですが、最近は私の体調の状態が良くないので、この4~5年はどちらのコースも行っていません。
 
 近々に、久しぶりに行ってみようかなと、気持ちだけはもはや行く気分の今日この頃です。
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# by akiko_550722 | 2005-04-12 14:28

ドラエもんの人気!

 そういえば、『ドラエもん』の声優たちが変わるって言う話が、巷に流れて話題になりましたね。
たしかに、あの大山のぶ代さんの独特のあの声が聞けないと思うと、ちょっと寂しい気がするのは私だけではないと思います。
 ところで、先日新メンバーが発表になりましたが、私の意見としては、特別違和感はなくて、良かったように感じましたが皆さんはどうでしょうか?

 今回は、『ドラエもん』とそれを取り巻く、のび太や静香ちゃん、ジャイアンとスネオなどの、仲間達の声優さんが一斉に替わることになりますが、実にその平均年齢が、27歳だって言うんだからびっくりです。なにもビックリすることないと思うかもしれませんが、今までの声優さん達の平均年齢は68歳だってなんて言うこと知っていましたか? 一気に40歳も若返ったという事になるんですよ。これも世代交代の波でしょうか。

 今度の『ドラエもん』の声優さん達は、ドラえもん=水田わさび(30)、のび太=大原めぐみ(29)、しずか=かかずゆみ(31)、ジャイアン=木村昴(14)、スネ夫=関智一(32)のメンバーとなりましたが、約600人ものオーディションの中から選ばれたと言うだけあって、以前の雰囲気を壊すことなく、スンナリ移行できると思えるような方々ばかりです。特に、『ドラエもん』の声を担当する、水田わさびさんは大山のぶ代さんと、声も話し方も非常に良く似ていると私は思います。又、ジャイアン役の木村昴君はなんと14歳の男の子ですよ。すごいですね!

 何故、私がこんなことを書いているかと言うと、先日ある本にアニメ『ドラエもん』は世界の15カ国で放送中であると言う話題をたまたま見たからなんです。
 わが国の『ドラエもん』は、1979年4月2日に放送がスタートして、放送回数が1967回を超えており、、丸25周年を迎えたということらしいのです。
 番組がスタートした当時、ワクワクしながら『ドラエもん』を見ていた子ども達が、今や立派なのお父さんやお母さんになっていて、自分の子ども達と一緒に再び『ドラエもん』を見ているなんて、とても素敵なことだと思うのです。
 最近は親子一緒に見ることが出来る番組が少なくなっているので、この『ドラエもん』いつまでも続く事を願っているのです。
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# by akiko_550722 | 2005-04-11 21:06

お花見の話題を二つ!

 このエッセイを少し休んだ間にも、わが家の庭先の雪解けは順調に進んでいる。なぜこんな話をしているのかと言うと、休む前日の3月13日のエッセイを読み返してみると、かなりの積雪で、このままだと5月の連休までに溶けるのだろうかと心配している内容であったので、現在の状況に驚いているのです。

 さくら前線も北上して来ており、東京では今週がピークだと言うニュースが流れている。北海道のサクラが咲く時期は5月の連休前後である。

 私はお花見に行った経験は沢山あるが、中には忘れられないお花見の話があります。
その一つは、まだ小学校に入ったばかりの頃に母と行った遠足の話です。家の近くにある公園で母と二人で見たサクラの美しさと、母の手作りのお弁当の美味しさは今でも忘れられない思い出でとなっている。

 それは小学生の一年生の春に、入学して初めての遠足で、隣町の大きな公園に行くことになった時の出来事でした。
 当時の私は、まだひとりで通学することも出来ない状況だったので、「一緒に遠足に行くと、クラスのみんなに迷惑が掛かるから止めましょう」と言う母の考えで、残念ながら参加出来なかったのです。
 でもそんな私を不憫に思ったのか、当日は二人だけの遠足に連れて行ってくれたのです。それはみんなと同じように、母は私の為に遠足のお弁当を作って、出発の際は皆と同じように学校に連れて行って、皆と同じように先生の注意を聞いて、私は母に背負われて、一緒に学校を出発したのです。しかし、途中から母と私はみんなと別れて、近くの公園に行ったのです。

 そこは市内でも有名なサクラの名所となっているところで、丁度その時は満開の状況だったので沢山の人達がお弁当を広げてにぎやかでした。そんな一角に場所を見つけて、母は持ってきた風呂敷を敷いて、私を座らせると、お弁当を広げてくれました。そこには母の手作りの料理がたくさん並んでいました。私は当時から「花より団子」の口だったのか、花の状況より料理のことの方が記憶に残っています。一時間程度花を見ながら葉の陽射しをからだ一杯に受けて、楽しいひと時を過ごしたのです。

 そのあとに映画館を見た記憶があるのですが、どんな映画だったかまるで思い出しません。でもいつもは父や姉たちと一緒に行っていた映画館に今日は母と二人だけ来ていることで、私の心は大いに満足していたのです。

 もう一つの想いでは、社会人になって初めて会社のお花見に参加した時のことです。その時は従業員7名と社長夫婦とその子供3名の合計12名のお花見とは名ばかりの宴会でした。場所はちょっと郊外の河川敷のような場所で、近くにはサクラは僅か3本しかない寂しい場所でした。そこは従業員の一人が見つけてきた場所で、誰もこないので、のんびりと花見が出来るという触れ込みで決めた場所だったのです。

 でもその場所に着いた途端、社長は「なんだ、この場所!」と機嫌が悪くなり、場所見つけてきた人に文句を言い始めたのです。私たちはその二人を取り成すのに大変でした。何とか社長も機嫌を戻してくれて、さあ宴会が始まると思った瞬間、今度は社長の奥さんがビールの栓抜きを忘れてきたと言うことで、社長と奥さんが揉め出したのです。

 社長が「ビールを飲むんだから、栓抜きが必要なくらいわかるだろう!」と奥さんに言うと、「自分達がやろうと言い出した花見なんだから、自分達で全部用意するのがほんとうでしょう、もともと私はこんな花見なんかに来たくなかったんだから・・・」なんて答えたものだから、もはや人前である事はお構い無しに夫婦喧嘩が本格的に始まってしまったのです。
 すると今度はその子供達が「また始まった。これだから嫌になる。俺たち返るから、だれか送ってくれよ」なんて言うものだから、もはや従業員全員が早く明日にならないかと願う状況になってしまったのです。

 そこで私は「これは飲むしかない!」と思い、車からペンチを持ってきて、ビールの栓をカタッパシに抜いていったのです。それにあわせるように課長が社長にビールを注いでさっさと乾杯の音頭をとったのです。最初はお通夜のような宴会も、ビールが進むに連れて陽気になって終わる30分前くらいにやっとお花見の雰囲気が出てきたのを憶えています。
 社長に二次会を誘われたのですが、私はこれ以上飲むと逆に社長に、文句を言うような気がしたので、やんわりとお断りをしたのですが、社長は「こんな楽しい花見をこれで終わりにするのは勿体無い、みんな一緒に二次会行くぞ!!」
 許されるなら後ろからビール瓶で殴ってやりたかったあの日の社長の言動でした。
 あれから30年も経ったけど社長夫婦はあの世でも揉めているのかなあ・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-04-10 17:01

今日は娘と買い物に・・・?

 娘は準夜勤務だったと言うことで、ただいま爆睡中である。朝起きたら居間のテーブルに今朝の新聞が乗っかっていたから、多分今朝の帰宅はAM5時くらいだったのだろうと思う。職業柄、勤務時間は不規則であるが、体を壊さないか心配である。

 ところで、先に書いたように昨日は一昨日と同じく、準夜勤務と言うことで、私は娘にお弁当を作ってやった。この準夜勤務の時だけは、私がお弁当を作る様になっている。この事については娘も結構喜んでいるのです。
今日のおかずはキャベツと豚肉の炒め物、それに海老のケチャップ煮、イカリングのピリ辛焼き、モロキュ風のサラダである。お弁当のオカズは、妻は実用的なオカズが主体であるが、私は蓋を開いた時の色合いが重要なキーポイントだと考えているので、とてもカラフルである。

 ところでお弁当の話はどうでも良いのですが、出勤前の娘と色々と話しているうちに、HDD内臓のDVDレコーダーが欲しいと言う話になり、ネットや電気店のチラシを見て二人で検討を始めたのである。ところが予想以上に値段が高く、機種や機能はさておき、値段だけで商品を選定しはじめていて、思わず笑ってしまいました。でも実物も見ないと結論が出ないということで、明日(つまり今日)札幌の電気量販店に行こうと言うことになったのです。

 しかし、問題はそこからである。娘が突然こう言ったのです。「買ったらお父さんも使うんだから1万円出してよ」と。
「でも、お父さん最近はお母さんからはお小遣いも貰っていないし、唯一の収入は、○○さんの文書作成や書類作成した時に貰っているお礼(予想以上の金額)くらいしかないので、やりくりが大変なんだよ」と答えると、「そしたら、パチンコで増やそうか?」と、娘が5年ほど前に家族と一緒に行って、大勝したことがある話を持ち出したのである。たしかにあのときは僅か3千円で3人で、六万円くらい勝ったのである。しかし、その後、何度か娘と一緒に夢を求めて通ったが、柳の下にドジョウは居なかったのである。勝った6万円はもとより、それ以上の出資金であった。でも娘はあの時の夢を棄てきれずに、再度挑戦しようと言うのです。結局、どうするかは明日の朝に考えようと言って、娘は出勤したのである。

 でも娘は帰宅が朝方だったので、多分昼過ぎまで寝ているだろうと思う。このために今日は買い物は中止になる可能性が強いのであるが、明日も休みらしいので、どちらにしても今日明日中には、わが家にHDD内臓のDVDレコーダーが登場するのは間違いないらしい。
 その為にパチンコ勝負してから買いに行くのか、真っ直ぐ買いに行くのかは、娘の目覚めの良さに掛かっているのだ・・・。
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# by akiko_550722 | 2005-04-09 09:01